彼女は、自分の前世は、1798年にアイルランドのコークで生まれ、1864年に亡くなったブライディ・マーフィーだったといい出しました。彼女は催眠状態では軽いアイルランドなまりで話し、アイルランドの生活や日常の出来事、風俗、習慣について詳細に生き生きと語ることができました。
また自分の人生についても、夫は弁護士で、晩年はクイーンズランド大学で教鞭をとったこと、本人はプロテスタントだったが、カソリックである夫の両親を喜ばせるためにベルファストの聖テレサ教会でカソリック方式で結婚式を挙げたことなど、いかにも現実にあった出来事のようなエピソードを語ったのです。
重要なのは、バージニアは本を読む習慣がなく、百科事典ももっておらず、また図書館に行ったこともなかったということです。彼女のこんなにくわしいアイルランドの知識がどこからやってきたのかを、誰も説明することができませんでした。
幼少期の記憶が関係していた?
生まれ変わりの記憶のネタ元
バーンスタインはこの出来事をThe Search for Bridey Murphy(ブライディ・マーフィーを探して)という本として出版しました。この本は瞬く間に世界的なベストセラーになり、日本でも『第二の記憶』というタイトルで発売されました。
バーンスタインの本は世界的に注目を浴びたので、多くのジャーナリストや研究者がその真偽について検討をはじめました。もしこの話が本物であれば、これは生まれ変わりの重要な証拠となると思われたからです。
ところが間もなく、この話はどうもおかしいということがわかってきました。バージニアの証言をアイルランドの記録と照らし合わせてみると、該当する人物が存在しないことがわかったのです。
アイルランドでは、1800年代から誕生や死亡の記録が戸籍として残っており、また、ブライディが生活したというコーク市には、1820年以降のすべての住民の氏名が記録されていましたが、ブライディの名前はありませんでした。
ブライディが結婚式を挙げたときの神父、ジョン・ジョセフ・ゴーマンの名前は、教会の記録にはなく、それどころか、彼女が結婚式を挙げた聖テレサ教会なるものはベルファストには存在したことさえありませんでした。また、クイーンズランド大学に勤めていたはずの夫の名前も、クイーンズランド大学の名簿には存在しませんでした。