大事なメンターの存在

――新さんがビジネスマンとして明確なビジョンを抱くきっかけになった出来事は?

 もう亡くなりましたが5歳上の姉の影響が大きいですね。姉は私が小学生のころから、こう言っていました。「日本は戦争に敗れた。これから先、日本は世界を相手にビジネスをしなければいけなくなる。だからあなたは大きくなったら英語を武器にして、世界を舞台に活躍できる人になりなさい」と。

 つまりグローバル・ビジネス・パーソンになれと、姉に背中を押されたのですね。

――文武両道で坂本竜馬を鍛えた乙女姉さんみたいですね。

 小学5年生のころだったかな、姉が中学生のときに使っていた英語の教科書を引っぱり出してきて、ABCから教えてくれました。両親も小さなことにはこだわらず大らかに育ててくれましたが、子供のころの環境というのは非常に大事ですね。

 私は講演会などで、人生における知恵を授けてくれるメンター(mentor)を3人持つようにとアドバイスしています。生きる勇気や人生の知恵を授けてくれる人、人生の“師”です。

 メンター(師)が必要なのは大人も子供も関係ない。若い頃にどんなメンターを持つかによって、後々大きな影響が出てくると思います。

――社長職に就きたいと思われたのはいつごろですか。

 日本コカ・コーラに転職した32歳のときです。これもプライベートな話になりますが、父はよく「鶏口となるも牛後となるなかれ」と言っていました。「牛の後」はつまり牛の尾。後からついてくるフォロワーではなく、トップリーダーになれという意味ですが、組織の中で企業人として働くならばトップになりたいとずっと思っていました。32歳で次男が誕生し、父親としての責任感も増したこともあり、思いはいっそう強くなりましたね。

――45歳までに社長になるという目標はどのように決められたのでしょう。

 32歳で転職したので、3年後の35歳では若すぎるし、トップになるには経験不足。しかし55歳では身体の頑張りも利かなくなってくるので遅すぎる。その間の45歳ならば心技体すべてにおいて一番バランスがとれているなと。

 今でこそ若い社長もめずらしくありませんが、当時は45歳の若い経営者ということで驚かれ、新聞社から取材を受けることもありましたね。