「あなたは臆病だね」と言われたら、誰だって不愉快でしょう。しかし、会社経営やマネジメントにおいては、実はそうした「臆病さ」こそが武器になる――。世界最大級のタイヤメーカーである(株)ブリヂストンのCEOとして14万人を率いた荒川詔四氏は、最新刊『臆病な経営者こそ「最強」である。』(ダイヤモンド社)でそう主張します。実際、荒川氏は、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災などの未曽有の危機を乗り越え、会社を成長させ続けてきましたが、それは、ご自身が“食うか食われるか”の熾烈な市場競争の中で、「おびえた動物」のように「臆病な目線」を持って感覚を常に研ぎ澄ませ続けてきたからです。「臆病」だからこそ、さまざまなリスクを鋭く察知し、的確な対策を講じることができたのです。本連載では、同書を抜粋しながら、荒川氏の実体験に基づく「目からウロコ」の経営哲学をご紹介してまいります。
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「現在」の延長線上に「未来」はない
「未来」から「現在」に遡って考える――。
これは、「経営」の鉄則です。言い換えれば、「フォアキャスティング(Forecasting)」ではなく、「バックキャスティング(Backcasting)」で考えるということです。
ご存じのとおり、バックキャスティングとは、はじめに「未来において、企業があるべき姿」を設定して、その「あるべき姿」を実現するための具体的なアクションを決めていく思考法のこと。つまり、「未来」から「現在」に遡って考えることです。
逆に、現時点において実現可能な「改善」を積み上げることによって、「未来」を描き出す思考法のことをフォアキャスティングと言います。つまり、「現在」から「未来」に向かって考えるということです。
もちろん、このフォアキャスティング思考も経営においては重要であり、現場における日常業務はこの思考法をメインに取り組む必要があると言えます。しかし、経営がこの思考法をとると、その企業は早晩行き詰まることになるでしょう。なぜなら、フォアキャスティング思考の最大の問題点は、「現在」の延長線上にある「未来」しか描けないことにあるからです。
過酷な競争環境を生き抜くためには、現時点における「現実」から連続的な成長をめざすだけではなく、どこかの時点において、非連続的な成長をする局面をつくり出す必要があります。そのためには、経営はバックキャスティング思考を徹底する必要があるのです。
「3%のコストダウンは難しいが、3割ならばすぐにできる」
しかも、実はバックキャスティングのほうが「実現可能性」が高いという側面もあります。
それを端的に示しているのが、「3%のコストダウンは難しいが、3割ならばすぐにできる」という、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助さんの有名な言葉です。
松下さんがこの言葉を口にされたのは、1960年代のこと。当時、トヨタからは毎年3%のコストダウンを要請されていたのですが、自動車産業の国際競争が激化したことを受け、ある年、唐突に「3割のコストダウン」を求められた時のことです。
毎年3%のコストダウンに対応するだけでも息切れする状態だったのですから、はっきり言って無理難題。カーラジオを担当していた事業部は、「到底無理だから、断るほかない」と考えていたそうです。
「革命的なアイデア」が生まれる条件
ところが、このとき松下さんは、「3%だったら、今までの延長線上でコストダウンを考える。だから難しいのだ」とお考えになった。そして、その事業部を「3割下げるには商品設計からやり直さなければならない。そうだとしたら、3割は無理ではない。なんとしてでもこれをやりとげよう」と説得したのです。
もちろん、現場は苦労を強いられたと思いますが、最終的には、ゼロから根本的、抜本的な設計変更を行い、革命的なコストダウンを達成。ここで培った技術・ノウハウが同社の競争力をさらに高めたと言われているのです。
このエピソードはまさに、フォアキャスティングの短所と、バックキャスティングの長所を端的に表現していると思います。
つまり、「今までの延長線上で考える」というフォアキャスティング思考だと、3%のコストダウンすら難しいが、「3割のコストダウン」という無理難題(バックキャスティング)を課せられると、「今までの延長線上で考える」というスタンスを捨てざるを得ず、ゼロベースで考え直す必要に迫られるがゆえに、革命的な仕事が成し遂げられる可能性が高まるということです。
生き残りをかけた「決断」
これは、ブリヂストンが1988年に行った、アメリカの名門企業・ファイアストンの買収にもあてはまります。
当初は、この買収に社内外から反発が吹き荒れました。それも当然のことで、当時、ファイアストンは、大規模リコールや労働組合との根深い対立などの深刻な問題を抱えるなか、1日1億円の赤字を垂れ流しているような状態でしたから、そんな企業を約3300億円もの巨額をかけて買収することは、フォアキャスティングで考えれば、まさに“あり得ない”ことだったでしょう。
しかし、このときに「買収しないという判断」をしていたら、現在のブリヂストンはなかったと断言できます。
当時、急速にグローバル化が進むなか、ミシュラン、グッドイヤー、ピレリなどのグローバル・ジャイアントが世界市場で、“食うか食われるか”の苛烈な闘いを繰り広げていました。そのなかでアジア辺境の企業にすぎなかったブリヂストンは、明らかに“食われる側”の存在でした。
だから、一刻もはやくグローバル・ジャイアントに対抗できるだけの市場シェアを獲得する必要があったのですが、自力でシェアを高めながら、世界各地に工場を建設していくだけの時間の猶予はありませんでした。つまり、バックキャスティングで考えれば、残された選択肢はM&Aしかなかったのです。だからこそ、ピレリがファイアストン株式の公開買付を発表した瞬間に、当時のブリヂストン社長はファイアストンの買収を決断したのです。
「無理難題」が組織を育てる
もちろん、批判が吹き荒れることは百も承知でしたから、どんなに激しい抵抗にあっても、当時の社長はガンとして譲らない「コワモテ」で通す一方で、社長秘書だった私に命じて、関係各所と何度も折衝を重ねて、理解と協力を得る努力を重ねました。
いわば「剛」と「柔」の両面を使い分けながら、ファイアストンとの経営統合に向けて組織を動かしていったわけですが、予想どおり、想定外の問題がいくつも噴出するなど、その道のりは長く険しいものでした。
しかしながら、経営統合に失敗すれば会社は万事休す。
その厳然たる現実を全員が共有していましたから、とんでもない無理難題が降りかかってきても、「今までの延長線上で考える」のではなく、「ゼロベースで考える」ことでどうにかこうにか活路を見出し、悪路を匍匐前進(ほふくぜんしん)で歩み続けました。
そして、ざっと20年ほどの時間を要しましたが、ブリヂストンは、巨象とも言うべき大組織であったファイアストンを飲み込むことに成功。2005年には一躍、ミシュランを凌いで世界トップシェアを奪取するにまで至ることができたのです。
この頃には、ブリヂストンという会社の経営力・組織力は格段に向上。私個人にとっても、ファイアストン買収のタイミングで、社長直下の秘書として、社内のすべての部署と社長の接点を務めたのは過酷な経験ではありましたが、そのおかげで能力が無理やり拡張されたように感じます。
これは、フォアキャスティングでは起こり得ないことであり、経営がバックキャスティングによって、「無理難題」とも言いうる課題を設定するからこそ、個人も組織も無理やり成長させられると言えるのでしょう。その意味でも、経営は「バックキャスティング」に徹することが求められるのです。
(この記事は、『臆病な経営者こそ「最強」である。』の一部を抜粋・編集したものです)
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株式会社ブリヂストン元CEO
1944年山形県生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、ブリヂストンタイヤ(のちにブリヂストン)入社。タイ、中近東、中国、ヨーロッパなどでキャリアを積むほか、アメリカの国民的企業だったファイアストン買収(当時、日本企業最大の海外企業買収)時には、社長参謀として実務を取り仕切るなど、海外事業に多大な貢献をする。タイ現地法人CEOとしては、同国内トップシェアを確立するとともに東南アジアにおける一大拠点に仕立て上げたほか、ヨーロッパ現地法人CEOとしては、就任時に非常に厳しい経営状況にあった欧州事業の立て直しを成功させる。その後、本社副社長などを経て、同社がフランスのミシュランを抜いて世界トップシェア企業の地位を奪還した翌年、2006年に本社CEOに就任。「名実ともに世界ナンバーワン企業としての基盤を築く」を旗印に、世界約14万人の従業員を率いる。2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災などの危機をくぐりぬけながら、創業以来最大規模の組織改革を敢行したほか、独自のグローバル・マネジメント・システムも導入。また、世界中の工場の統廃合・新設を急ピッチで進めるとともに、基礎研究に多大な投資をすることで長期的な企業戦略も明確化するなど、一部メディアから「超強気の経営」と称せられるアグレッシブな経営を展開。その結果、ROA6%という当初目標を達成する。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。キリンホールディングス株式会社社外取締役、株式会社日本経済新聞社社外監査役などを歴任・著書に『優れたリーダーはみな小心者である。』『参謀の思考法』(ともにダイヤモンド社)がある。(写真撮影 榊智朗)