「お気に入りを殺せ」は
起業家にこそ当てはまる
ベハンスの創業から数年は、僕も「あれもこれも」の罠にはまった。いずれのプロジェクトも「クリエイティブ業界をエンパワーし再編する」というミッションを支えるものではあったけれど、あまりに多方向にエネルギーを分散させすぎていた。クリエイティブ人材のためにベハンスネットワークを立ち上げ、数百万人のクリエイターが作品を掲載し、彼らの才能に気づいてもらえる形を整えた。だが一方で、プロジェクト管理ツールとして「入札メソッド」と呼ばれる機能を開発したり、自社ブランドのノートやグッズを販売したり、99Uというクリエイティブ業界向けのカンファレンスやウェブサイトや雑誌をつくったりもした。
こうした努力が自分たちのブランドとミッションに貢献したことは確かだが、同時にエネルギーもバラバラに分散されてしまった。うまくいかないことなら、僕たちは躊躇なく切り捨てていたし、切り捨てたプロジェクトは数多かった。でも、そこそこうまくいっていることを切り捨てるのは苦手だった。今思い返すと、創業2年目はあれこれと抱え込みすぎて、なかなか前に進めず危うく死にかけた。
素晴らしいアイデアや可能性をなかなか切り捨てられないのは、文学の世界でもよくあることだ。それを示すのが、「お気に入りを殺す」というよく聞くフレーズだ。アメリカ人のノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーは「執筆中はお気に入りを殺さなければならない」と言っている。ホラー小説の帝王スティーブン・キングも、小説の作法やプロットのつくり方を描いた本の中で、「お気に入りを殺せ、お気に入りを殺せ、三文作家のプライドが傷ついたとしても、お気に入りを殺せ」と繰り返している。このフレーズを発案したのは作家のアーサー・キラークーチらしい。作家志望の人たち向けに行った1914年の講義で、「実践的なルールをひとつ言わせてもらうとすれば、非凡で卓越した文章を披露したいという衝動に駆られたら、その衝動に心ゆくまで身を任せ、その文章を消してから出版社に原稿を送ること。お気に入りを殺しなさい」と述べている。
執筆活動はシンプルさと可能性とのあいだの綱引きだ。面白いプロットと魅力的な登場人物がいればそれだけで読者はついてくるが、人を引きつける筋書きをつくり上げるプロセスでは、想像力を気ままに働かせなければならない。だから作家は、その筋書きを強化することにつながらなければ、美しい文章も強烈な登場人物もやむを得ず切り捨てることになる。経験の浅い作家はそんな愛すべき登場人物や美しい文章をなんとか物語に織り込もうとする。
だが、偉大な作家は勇気と規律を持ってそうした「お気に入り」を殺す。起業家も同じだ。自分が生み出した何らかの価値のあるものを殺すことが辛すぎてできない。だが、殺さなければならないのだ。