そう思いたい方のお気持ちは理解できるが、中居氏と女性の間に「トラブル」があったことは中居氏本人も認めている。そして、あの10時間会見でも明らかになったようにこの「トラブル」は被害女性の上司、フジテレビ経営陣も内容も含めて把握しており、「人権侵害の恐れがある」と述べるほど深刻なトラブルだ。

 つまり、「A氏が食事会をセッティングした」というのは文春の誤報であったとしても、「中居くんは悪くない」「捏造記事にハメられた」とはならないのだ。しかし、文春への信用低下によって、「深刻な人権侵害トラブル」の存在自体が「嘘」だと主張している人たちまで現れている。中には、特定の政治勢力や某国が裏で糸を引いて、中居氏をスケープゴートにしているという「陰謀論」まで唱えられている始末だ。

「なぜそんな飛躍が?」と驚く人もいるだろうが、これこそが冒頭でドラッカーが述べているプロパガンダ蔓延の危険性だ。

 フジテレビを始めマスコミは信用できない。それを追及するフリージャーナリストも「決めつけ刑事」のようで共感できない。そして、これまでは「正義の裁き」と持ち上げてきた「文春砲」の信頼性まで揺らいできてしまった。

 そういうオールドメディアの信頼が総崩れしていく中で、人々は何を信じるかというと、「プロパガンダ」だ。ネットやSNSで匿名の誰かが流した「マスコミが報じない真実」という話や、YouTubeなどで独自の見解を唱えるインフルエンサーの言葉を鵜呑みにしてしまう。

「そんなのデマでしょ」という指摘は通じない。なぜなら「文春? あんなのデマばかりだよ」「ジャーナリストなんてみんな決めつけ刑事みたいな連中だよ」という感じで、「マスゴミ」の方がもっと信じられないと思っているからだ。

 メディアやジャーナリストが信じられない社会ということは裏を返せば、「自分の好きなことを信じればいい社会」ということだ。だから、「中居くんは悪くない」「中居氏はハメられた被害者」という話を信じたい人は、そういう主張を唱えるインフルエンサーなどを支持して「マスゴミのデマ」に耳を塞ぐ。不信感から憎悪が高まっていくので、発する言葉もどんどん攻撃的になっていくというワケだ。

 つまり、今の日本はドラッカーが予見した「プロパガンダが蔓延することで全てのコミュニケーションが信用できなくなる」という地獄のような世界になりつつあるということだ。

「文春記事訂正」で失墜したメディア
信頼を取り戻す“たった一つ”の条件とは?

 では、これを回避するためにはどうすべきか。ひとつは「文春はたかが週刊誌」という前提に戻ることだ。