2024年1月、筆者は《松本人志さんと吉本興業の初動は“最悪”、でも「文春砲=正義」の風潮に違和感のワケ》という記事で、元週刊誌記者の立場で、テレビや新聞、そして高名なジャーナリストまでが文春報道を根拠にして不正を追及する風潮に苦言を呈した。そこから1年間繰り返し、「あまり文春を持ち上げないほうがいい」と主張してきた。理由は以下だ。

《本連載でも繰り返し述べているが、週刊文春の取材は確かにすごいのだけれど、犯罪捜査をする専門機関ではない。「たかが週刊誌」なので、間違えることもあれば、裏付けの取れていない話を報じてしまうこともあれば、「売れる」ために意図的に読者の溜飲を下げる方向へ論調を曲げることもある》(24年11月14日《松本人志「訴訟取り下げ」への批判が“気持ち悪い”…「たかが週刊誌」に踊らされる人が知らない「性加害報道の実態」》)

 文春をディスっているわけではなく、週刊誌で働いたことのある人間ならば誰もが身をもって感じる「現実」だ。だから本来は、社会の公器を名乗るテレビや新聞や、実績のあるジャーナリストが後追いするようなものではない。実際、筆者が週刊誌にいた27年前などは、「売らんかなでテキトーな話を載せている」とそういう人たちから思いっきり「下」に見られていた。

 だから、今のように文春記事を手にして、テレビや新聞の記者、有名ジャーナリストが不正を追及するような状況はかなり「異常」なことだ。これが当たり前のようになっていることが危険だと再三申し上げてきた。文春が誤報するなどして「嘘くさい」というイメージになれば、文春を「信頼できる情報源」として依存しているすべてのメディア、すべてのジャーナリストまで「嘘くさい」と総崩れしてしまうからだ。

 こういう最悪のシナリオを避けるためにも「文春依存」をやめるべきだと申し上げてきた。仮にも報道機関やジャーナリストを名乗っているのならば、「文春にはこうあるぞ」と会見で追及をするのではなく、自分自身で取材をしたことで報道をすべきなのだ。