そういう誠実な記者が、あのような場で語気を強めて同業者たちに苦言を呈さざるをえなかったという事実は、メディア・ジャーナリズム業界の人々はもっと重く受け止めるべきではないか、と個人的には思う。

 今回のフジテレビの対応も、記者会見での一部記者らの過激な言動も、そして「週刊文春」の訂正対応も、世間の人々からすれば理解し難い「非常識さ」だ。

 筆者はテレビ、新聞、出版と渡り歩いてきた後、報道対策アドバイザーとして、さまざまな業界・企業の不祥事に関わってきた。その経緯で「この世界の感覚は世間ズレしているな」と呆れる業界はたくさん見た。しかし、その中でも一番非常識で、昭和の人権意識が残っている世界はどこかと問われたら、「メディア」だと答えるだろう。

 政治家や政府や企業の不正を厳しく断罪して「そんな答えじゃ世の中は納得しませんよ」と追及しているくせに、メディアやジャーナリストの中には、「世の中を納得させられるような形」で活動をしていない人たちが実はたくさんいる。ここにきて、それが次々と露呈してしまっている。

 もちろん、常識的な人もたくさんいるのだが、こういう問題が次々起きる背景のひとつには、「記者やディレクターが社内で出世して経営者になる」という日本のメディア特有の非常識さある。海外では経営とメディアの現場は切り分けるのが普通だが、日本はそうではない。そのため、経営判断に“ギョーカイ人”の世間ズレした感覚が反映されてしまうのだ。

 これまでは「特権階級」だったメディアやジャーナリストにも、ドラッカーがマネジメントで述べた「真摯さ」というものが求められているのではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

「文春記事訂正」と「フジテレビ地獄の10時間会見」で失墜したメディア…信頼を取り戻す“たった一つ”の条件とは?