プロレス団体代表が
慶應大学で学んだこととは?

 三富は中高一貫校を経て、慶應義塾大学文学部で学んだ。大学時代は学生プロレスで活躍し、様々なプロレス団体が集結する学生プロレスサミットの運営にも関わった。大学では学生プロレスをやることを決意していた。麻布高校から一橋大学に進学して日本銀行に就職した少し年齢が離れた兄と一緒に遊びに行った学園祭で、学生プロレスを観戦したことも影響していた。

 その後、三富は博報堂に入社するとともに、当時プロレス団体DDTの傘下団体だったユニオンプロレス(のちに解散)にも所属し、会社員とプロレスラーの二足の草鞋を履いた。

 博報堂を1年目で退社後、プロレスラーとしての活動に没頭。ユニオンプロレスの解散後はフリーランスのレスラーとして、全日本プロレスやWRESTLE-1といったメジャー団体を含む様々な団体に参戦し、経験を積んだ。地域のプロレス団体の立ち上げに関わったことや、武藤敬司率いる「WRESTLE-1」の経営チームとして裏方業務に携わるようにもなった。ファンとして追いかけていた憧れのレスラーと対戦することも、タッグを組むこともあった。

 そして、2019年に「新進気鋭のプロレス団体」PPPTOKYOを設立した。新型コロナウイルスショックの逆風などもあったが、筋肉系YouTuberでもあり、ボディビルダー、最近までセクシータレントとしても活躍していた「究極生命体」ちゃんよた選手、「胸毛ニキ」こと八須拳太郎選手などがブレークした。新宿FACEを中心に関東で活動を続け、格闘技の聖地である後楽園ホール大会や、関西進出も実現した。これが、彼の大学卒業後の歩みだ。

 そんな彼は、なぜ、慶應義塾大学を選んだのだろう。実は彼は、高校時代に現役で受験した2008年春には青山学院大学に合格していた。同校も名門校として知られているのだが「学生プロレスをやるなら、もっといい大学でやりたい」と考え、浪人を決意した。

 浪人時に通った駿台予備校では、知的で自由奔放な仲間ができ、よく遊んだ。プロレス好きを公表したら、みんな面白がってくれた。金髪にし、歌舞伎町でホストクラブやキャバクラのキャッチ(呼び込み)のアルバイトなどもした。遊びすぎて偏差値が60から50まで10落ちたこともあったが、勉強に集中すれば偏差値は70までアップした。結果、早慶の複数学部に合格する。そのとき、慶應を選んだのは、入学金の振り込み日が早かったという理由だった。