白人男性のトーマス・マシュー・クルックス容疑者(20歳)は何を考えていたのか。イデオロギーに突き動かされた過激派だったのか。映画の主人公をまねた、精神的に不安定な一匹おおかみか。失職したばかりの不満を銃で何かにぶつけたかったのか。なぜ土曜の夜にトランプ氏を撃ったのか。

 いずれの質問も大規模な銃撃事件が起きた後にはよく聞かれるものだ。そしてこれは全く的を射ていない質問でもある。米国の人口は3億4000万人。誰もが事実上、上記の大まかな分類のどれかには当てはまるだろう。

 なぜこういう苦言を呈するのかというと、マスコミテロ犯を強引に「特別な人」扱いすると、その思想や環境まで特別視され、特定の政治勢力やイデオロギーがそれを政治利用する。単に身勝手な理由で人を殺しただけなのに、社会や政治の問題提起にすり替えてしまうのだ。

 こうなると同じような不幸な境遇や、同じように社会に不満を抱えた人が「だったら、俺も」と勘違いして模倣犯やさらに過激な犯行の「呼び水」になってしまう。こういう危険性があるので、海外のジャーナリズムは、どんなに視聴率が稼げるからといって、政治家を殺した人間を「特別な人」として扱わない。

 しかし、残念ながら日本のマスコミはそれをやってしまった。

 あの事件以降、各局の情報番組では連日連夜、山上被告の犯行の瞬間を流して、彼の不幸な生い立ちや、家庭環境、これまでの勤務先の人々に彼の人柄を語らせて、「特別な人」として持ち上げてしまった。

 そういうVTRが流れた後、専門家や有識者は「やったことは許されることではないが、同情する部分もある」「安倍元首相と旧統一教会の関係に問題があるのでないか」と山上被告を「悲劇のヒーロー」扱いする者まで現れた。この世論に押される形で、日本政府が教団に解散命令請求を出した。

 ここまでの「大成功」をおさめた要人殺害テロは、世界的にも珍しい。