竹下先生には東京・代沢のご自宅でこんなことも言われました。「石破よ。君は正しいことを言ってきた、と思っているだろうが、正しいことを言うことは、場合によっては人を傷つけることになるものだということを忘れるなよ」と。重い言葉でした。その後も拳拳服膺(けんけんふくよう。編集部注/人の教えや言葉などを、心にしっかりと留めて決して忘れないこと)しております。確かに、私の中にそういう驕った気持ちが芽生えることが時としてあり、そういう時に思い出して自戒するようにしています。

 自民党への復党は私にとって大きな蹉跌でした。高邁な理想を掲げて、自民党に代わりうる党を作り、二大政党制を定着させる、と言いながら、結局それができなかったんですから。

 当時の加藤紘一幹事長は、復党を快く受け入れてくれましたが、他の国会議員はだいたい冷ややかでした。

書影『保守政治家 わが政策、わが天命』『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)
石破茂 著、倉重篤郎 編集

 復党してしばらくたっても、その空気は変わりませんでした。どうにも居場所がない。どこに行っても、あの自民党を壊した小沢一郎と一緒になって離党した石破だ、という目で見られるのです。私は必ずしも小沢さんと一体的に動いたわけではありません。最初に離党を誘われた時にお断りしたことはすでに申し上げた通りですし(編集部注/1993年6月、野党の宮澤内閣不信任案に同調して自民党を割る前夜の小沢は、石破を誘って断られている。石破が離党したのは同年12月)、新生党、新進党の中でもむしろアンチ小沢(羽田派)のスタンスでしたし、最終的には小沢さんの集団的自衛権に関する見解、安保観、憲法観との決定的な違いから、復党したいと思ったのが事実です。

 それでも一度出来上がったイメージを変えるのはとても難しい。針の筵(むしろ)のような心境というものを人生で初めて感じました。