「私は頑張れる人間です」をどのように証明するのか

 これは多くの大人が感じていることですが、「努力」というのは可視化するのが大変むずかしいものです。「私はこれだけ勉強しました!」と言われても、それが本当なのかどうか確認する術はほぼなく、最終的に社会では「結果」で判断がなされます。要するに「学歴」がその人の努力量を担保する一要素となり得るのです。

 これは、皆さんの努力量を確認するつもりが最初からないという意味ではなく、そうでもしなければ、時間的に不可能だからです。

 東大生であれば、とんでもないほど努力をして勉強したんだなと「結果」から判断することがある程度できます。逆に、定員割れしてしまうような大学であれば、「あまり努力しなかったのかな...?」と勘ぐられてしまいます。しかもそれは悲しいことに「実はかなり努力を重ねていたとしても」です。

 残念ながら「努力量や努力の質」を証明するものが学歴をはじめとする「結果」や「成果」なのです。

「受験生や大学生だけそんな見られ方をするのはおかしい!」と思うかもしれませんが、大人になってからも同じです。大人になると経歴や実績といった「結果」はより求められます。「頑張りました!」といくら言っても、「具体的にはどんな成果を?」と聞かれてしまいます。

びーやまwakatte.TV・びーやま氏(Photo by Akifumi Shintani)

 加えて、「学歴」はただ飾りでもないはずです。難関と言われる大学に通っている学生は、当然そうでない大学の学生に比べると能力は高い傾向にあります。そのため、「学歴が高いから能力が高い」のではなく、「能力の高い人は高学歴でもあった」というのが正しいロジックです。学歴は高くなればなるほど、自然と能力は上がっていきます。

 そういった理由から皆さんが知っているような有名企業は東大京大や早慶、同志社といった高学歴な人で大半が占められています。世の中の経営者も同じです。優秀な大学を出ている人がほとんどです。

 なかには、高卒などで経営者になるような人もいますが、それこそ「天才」でしょう。僕はこういった話を聞くたびに、「高卒経営者として活躍するより、難関大に入るほうが圧倒的に楽だよな」と思います。なぜなら、大学入試の問題には明確な正解があるからです。

 経営のように正解がないことで成功を収めるのは大学入試の何倍もむずかしく大変なことです。ですから、そういった稀なケースを信じ込んで「大学なんて行かなくても経営者になれる!」と決めるのはやめましょう。

 そういった人の大半は、「大学に行けなかった」のではなく、「大学に行ける能力を持ちながら、行かなかった」という人たちです。