末期がんの診断を知らされた患者はそうでない患者に比べて「活力が高かった」
それ以外にも『ニューロテクノロジー』には興味深い事例がたくさん載っている。そのなかからいくつか紹介してみよう。
アルツハイマー型認知症の原因遺伝子として、コレステロールや脂肪酸の運搬に関与するアポリポタンパクEをつくるAPOE遺伝子の変異型(ε4型)が知られている。遺伝子解析でこの変異型を保有していることがわかった場合、それを告げるべきかどうかが議論になった。
最近の研究では、アルツハイマー病の発症リスクが高いと知っても、たいていのひとは心理的な害悪のリスクが増大することはないという。そればかりか、リスク評価についてよりポジティブな気持ちになるらしい。「もちろん、多くの人がいったんは悲嘆に暮れる。だが、その一時的な悲嘆によって不安やうつ症状が悪化することにはならない。またアルツハイマー病の発症リスクを率先して調べてもらった人は、その知識にもとづいてより健康な習慣を身につけ、長期的な計画を立てる」とファラハニーは書く。
このことは、末期がんの診断にも当てはまる。告知の有無で患者の健康状態がどのように異なるかについて、23の研究(1万1740件の記録)をメタ解析した論文によると、「診断を知らされたがん患者に比べて、診断を知らされていないがん患者がよりよい生活の質またはより軽い症状を経験するという証拠は発見されなかった」。それどころか、診断を知らされた患者はそうでない患者に比べて「活力が高かった」という。
診断を知ることで、患者は治療方針、終末医療の選択、残った人生と財産にかかわる選択をすることができる。これは、告知によって自己効力感(自分の人生を支配できているという感覚)が高まるからのようだ。
デコーティッド・ニューロフィードバック(DecNef)はPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療のために開発されたニューロテクノロジーだ。患者はfMRI(機能的磁気共鳴画像装置)のなかに横たわり、トラウマの原因となった記憶を思い出す。すると、機械学習アルゴリズムが脳内の活性化した領域の正確な位置をマッピングし、それらの領域にある記憶を暗黙的なニューロフィードバックによって「消去」するという。
BCI(ブレイン・コンピュータ・インタフェース)は脳とコンピュータを直接接続するテクノロジーで、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のチームはサラという難治性うつ病患者の脳にBCIデバイスを埋め込んだ。その後、研究チームはサラが最悪のうつ症状を見せているときに活性化する脳領域のマッピングをし、脳内に細いワイヤを埋め込んで信号をブロックした。「チームがはじめて刺激を与えたとき、サラは「大声で笑い、喜びの感覚に浸った」と語った」とされる。
頭蓋骨の上から微弱な電流を流して脳を刺激する経頭蓋直流電気刺激(eDCS)もうつ病の治療に使われている。もともとはアスリートの運動野を刺激して練習成果を上げるために開発されたが、同じテクノロジーをうつ症状の軽減に使った場合、成功率は83%だという。
シンクロンは脳インプラントチップの新興企業で、「電極入り脳血管ステント」という「脳内にデバイスを設置する安全で簡便で大規模に実現可能な新手法」を開発している。網状になったワイヤの小さなチューブのような形をしていて、心臓疾患の患者を治療するステントと同じ要領で、首すじを走る頸動脈にカテーテルを使って挿入され、血管を通って脳内に達する。
この脳血管ステントデバイスは、脳が四肢や指を動かすために出す電気信号を検知する。検知された信号はブルートゥースを経由して体外のデバイスに送られ、アルゴリズムによってコンピュータへの指令に変換される。「オーストラリアの4人の神経性疾患患者が、この脳血管ステントを脳内に入れてもらい、ただ考えるだけで電子メールや携帯メールを送り、食品を購入することができるようになった」という。
今後、こうした驚くようなテクノロジーが次々と開発・実用化され、脳の障害や精神疾患に苦しむひとたちに大きな福音をもたすと同時に、これまでの常識を覆し、その使用をめぐって社会を混乱させることになるだろう。
●橘玲(たちばな あきら) 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)など。最新刊は『親子で学ぶ どうしたらお金持ちになれるの?』(筑摩書房)。