弁護士が手を挙げた
「私がやります」
足利銀行から戻り、先生たちと遅くまで議論した。民事再生を進めるには私が辞任する以外の選択肢はない。しかし、誰が後任を務めるのか。秋沢常務は真っ先に「私はできません」と断ってきた。「信頼できる先輩や友人はいないか」と問われても、火中の栗を拾おうという人など簡単に出てくるはずもない。私たちは早々に行き詰まった。
翌日、足利銀行の担当者から電話があった。
「銀行としては弁護士の先生にお願いできないかと考えています。副社長は会社を辞める必要はありません。現場で再生にあたってください。代表になる弁護士の先生には会社更生法の管財人のような形で管理監督していただくのが望ましいです」とのことだった。申し出に対する返答期限は翌週月曜の10月18日。回答は書面で提出するように告げられた。
土曜の夜、再び弁護士チームと夜遅くまで話し合った。
議論が膠着するなか、渡辺先生が「私たちでやりましょう」と言った。続いて、白井先生が大きくて分厚い手を挙げてこう言った。「私が代表をやります」。拍手が湧いた。
白井先生の挙げた手に、私たちは救われた。こうして私を含めた全役員が辞任し、弁護士の先生たちを中心に新体制を敷くことが決まった。足利銀行への提出文書は白井先生が自身で作成してくれた。そこには現役員の辞任、弁護士・会計士を中心とした新役員の選任、そして内部調査委員会の設置という新たな経営体制が明記された。
この頃、私は仕事が終わると、階下にある白井先生の事務所に立ち寄って挨拶をするのが日課になっていた。この日も先生の事務所には煌々と灯りがついていた。副社長を辞任しなければならない悔しさもあったが、大好きな白井先生が手を挙げてくれたことに涙があふれた。
出資でも世襲が問題
「好きにしてくれ」
10月18日、「再生計画認可決定確定後の経営体制について」という書面を提出した。
民事再生の手続きで申立代理人が代表取締役に就任し、再生計画履行を監督するというスキームは前例がなかったという。私は経営陣からは退任し、社員として引き続き再生にあたることになる。自分の中では「仕方がない」と納得していた。