「3年も家から一歩も出ずに、すぐこの仕事というのはいくらなんでもハードルが高すぎる*と思うよ。不特定多数の人が次々来て、なかにはいきなり怒鳴る人もいるし、理不尽なことだって言われるよ」
「マネージャーさんのことはよく知っているし、あなたにならうちの子をまかせても大丈夫だと思うのよ。なんとか協力してほしいの」
私は藤川さんを説得するが、彼女は「なんとかお願い」の一辺倒。とりあえず、面接だけはしてみることにした。
約束の日、彼はお母さんの雅代さんと一緒にやってきた。
「面接は彼ひとりでします」と言うと、母子ともに不安そうな顔をしていたが、心を鬼にして事務所の扉を母親の鼻先で閉めた。
中学を出てから3年、母親以外の人とは初めて話すという心細そうな彼に、この仕事はお客を選べず、一人一人に臨機応変に対応せねばならぬこと、突然の遅刻や欠勤は絶対に許されないことなどを懇々(こんこん)と話した。
「今言ったことを理解したうえで、頑張ってみると言うのなら、店の者は全員で応援する。でも難しそうなら初めから辞退してほしいの。必死で教えたのに、すぐ辞められたらこっちだってガックリするから」
そう伝えると、腕組みしたまま聞いていた彼はそこでようやく「ま、やってみますかね」とだけ言った。
引きこもりの子・藤川徹也君の勤務初日が来た。
私がまずはレジに入ってもらうよう指示したが、徹也君は怖がった。3年間、自宅から一歩も出ず、家族以外と口をきくこともなくすごしてきたのだから無理もない。徹也君がレジに入る際には必ず私が一緒に付き添った。徹也君は影のようにくっついていた。
自分で買い物*をしたこともなかったためだろう、レジに正確な金額を入力することができなかった。たとえば、5035円が打てない。間に0が入ると、どう打ってよいのかわからなくなった。
通常は最短3日で基本的な業務を教え込み、まずはレジに立たせて、「習うより慣れよ」でやらせていくのだが、彼がひとりでレジに立つまでに1カ月の時間がかかった。