目の前のことも頑張れない人が信頼を得ることはできるのか

――なるほど。ただ、別に大学受験だけでなくとも努力さえできればいいのではないかとも思うのですが、そのあたりはどうなのでしょうか。

びーやま:そうですね。先ほど言ったスポーツでも芸術でも、高校生起業だっていいと思います。ただ、そこには目にみえる成果がなければ、努力として社会では認められないというのが僕の主張です。

 これは残酷なことでもありますが、世の中は「頑張りました!」と口で言っただけでは誰も認めてくれません。目にみえる成果だけが努力したかどうかを証明してくれるのです。

 学生のうちは「頑張ったからOK」となるかもしれませんが、高校を卒業途端にそうではなくなります。

 そういった観点から考えると、大学受験は誰でも頑張ることができて、成果を出しやすいものです。

 なので、僕は「自分は頑張れる人間である」ということを証明するためにも大学受験はあると思っています。その意味では、大学受験でなくとも、目にみえる成果を出せる人は、別に大学受験にこだわらなくてもいいと考えています。

――よく理解できました。言われてみれば、高校生は大人より成果を出せる場面が多くないですね。

びーやま:そうですね。どうしても行動に制限はありますからそうなってしまいますよね。

 加えて、僕が思うのは目の前にあることを頑張ることでしか、人の信頼は得られないと思うんです。

 学生の本分はやっぱり勉強なわけですし、そのために学校に行くわけですよね。部活のために学校に行く高校生だって、毎日授業はあるわけです。

 そのときに目の前の勉強も頑張れない人が、どうやってほかのことでも頑張れると言えるのでしょうか。仮にスポーツに励む学生が勉強をサボっていたとしたら、「この子は好きなことだけ頑張って、苦手なことからは逃げるタイプなのかな?」と思ってしまいますよね。

 別に勉強が得意でなくたって、頑張れば名前のある大学に行けるのが今の日本ですし、就職希望で大学に行かなくたって、高偏差値を取ればまわりは認めてくれます。

 ですから、基本は僕も複雑なことを言いたいわけではなくて、「目の前のやらなければいけないことを頑張ろう、そうしたらちゃんと信頼を得られるよ」ということを伝えたいだけです。

 そして、やるべきことをやった先にしか大学合格はないですから、結果として高学歴な人は社会でも認められやすいのかなと思っています。