洪水、金融危機、通貨暴落…それでも日本企業がタイを離れなかった理由とは?
「経済とは、土地と資源の奪い合いである」
ロシアによるウクライナ侵攻、台湾有事、そしてトランプ大統領再選。激動する世界情勢を生き抜くヒントは「地理」にあります。地理とは、地形や気候といった自然環境を学ぶだけの学問ではありません。農業や工業、貿易、流通、人口、宗教、言語にいたるまで、現代世界の「ありとあらゆる分野」を学ぶ学問なのです。
本連載は、「地理」というレンズを通して、世界の「今」と「未来」を解説するものです。経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの地理講師の宮路秀作氏。「東大地理」「共通テスト地理探究」など、代ゼミで開講されるすべての地理講座を担当する「代ゼミの地理の顔」。近刊『経済は地理から学べ!【全面改訂版】』の著者でもある。

日本とタイの意外な関係とは?
「自動車という非常に便利な輸送手段をいかにして手に入れるか?」
これはとても重要なことです。なぜならば自動車があれば、人々の行動範囲が飛躍的に拡大するからです。国内に自動車企業があれば、国産車を手にすることができます。しかし、自動車企業が存在しない国では、海外から自動車を輸入しなければなりません。もしくは、海外の自動車企業を誘致して国内で生産するという方法もあります。
タイは国民車構想(自国で自動車製造を行う構想)を持たず、海外自動車企業を参入させることで自動車産業を興してきました。タイは日系自動車企業の進出が盛んで、1957年にトヨタ自動車が販売拠点をバンコクに設置したのが最初です。
タイは海外自動車企業に投資恩典を与えています。「組立部品を輸入して、タイ国内で自動車を組み立て」れば、完成車の輸入時と比べて、関税を半分に引き下げる優遇措置をとり、積極的に海外自動車企業の進出を促しました。
しかし、1960年代後半から完成車輸入が増加したこともあり、貿易赤字が深刻化しました。そのため、タイは部品の自国生産による「部品国産化政策」を導入します。
東南アジアの生産拠点になる!
自動車は、自動車企業が傘下に子会社や孫会社を従えたピラミッド構造になっていて、雇用力が大きい産業として知られています。タイは部品国産化政策によって、雇用力の大きい自動車産業の裾野を取り込み、育成しようとしたのです。
1985年のプラザ合意によって円高が進行し輸出不振となると、現地生産が加速。1989年には、タイはインドネシアを抜いて東南アジア最大の自動車生産国となりました。東南アジアの生産拠点として、ASEAN域内への輸出を促進していきます。
タイの国民1人当たりGDPは6909ドル。インドよりは高いですが、人口が7100万人ほどであるため、国内がそれほど大きな市場となっていないことも要因の1つです。
これがインドとの生産体制の相違点でもあります。このような自動車生産体制を背景に、1997年のアジア通貨危機、2008年の世界金融危機、2011年の大洪水(洪水が長期化して、生産体制が機能せず自動車生産台数が落ち込んだ)などを経験しましたが、コロナ禍以前の2019年にはおよそ201万台を生産しました。
2011年11月の大洪水の際、日系自動車企業はタイ周辺国での代替生産を選択せず、操業停止中においても従業員の雇用を確保し、早期の操業再開を実現します。タイは日系自動車企業にとって欠かせない生産拠点(生産ハブ)であることを証明する出来事でした。
(本原稿は『経済は地理から学べ!【全面改訂版】』を一部抜粋・編集したものです)