失恋の痛手は大きかった。涙が枯れるほど泣いた夜は数知れず。一人になると自然に涙が溢れ、食事も喉を通らない。別れてからしばらくは、げっそりと痩せていた。「あのときは、廃人のような数カ月を過ごしてました」と遠い目で語る。

 折しも、周囲は出産ラッシュ。自分も近いうちに結婚して子どもを、と考えていたため、この時期ばかりは親しい友人であっても、妊娠や出産報告を聞くのがつら過ぎた。この頃から疎遠になった友人が何人かいる。「6年付き合った相手と、35歳で破局なんて」と同情されたくなくて、別れたことも、周囲になかなか言い出せずにいた。

いい異性と巡り会えず
卵子凍結を考える

 やっと次の出会いについて考えられるようになったのが、別れから2年ほど経った37歳の頃。「もうあんな思いはしたくない」と思うと、恋愛に対して臆病になっている自分がいた。仕事が忙しいのもあって、新たな出会いの場もなかなかない。仕事は好きで充実していたが、このまま過ごしていたら、あっという間に時間が経ってしまう。「こんなんじゃダメだ」「もっと出会う努力をせねば」と自分を奮い立たせ、結婚相談所に登録したのが、39歳のことだった。「さすがにそろそろ急がないと、子どもが産めなくなる」という思いもあった。

 年齢のハードルは感じた。同い年ぐらいの男性を希望するも、なかなかマッチングが成立しない。数人と会ってはみたが、交際に発展するイメージが湧く人はなかなかいない。結婚のハードルを身を以て経験していたので、出産までにはまだまだ長い道のりになる可能性があると思った。卵子凍結を考え始めたのが、この頃だ。

「日本でも健康な女性の卵子凍結が始まっているというのは、確かテレビか何かで見たんですよね。昔、アメリカのドラマとかで卵子凍結をする女性について見た記憶があって、“ついに日本でもこういう動きが来たんだ”って思いました。調べたら、都内でも卵子凍結できるところがいくつかあった。だったら、卵子凍結をやっておくのは良い選択だなと」

 周りにはまだ、卵子凍結を経験した人はいなかったが、体外受精を経験した人は何人かいた。採卵までのステップは同じということもあり、「これだけ広がってきている治療法と同じ手順なら大丈夫だろう」と思えた。不安もあったが、クリニックに聞けば、疑問には一通り答えてくれた。「やってみよう」と腹を括り、卵子凍結に臨んだのが39歳のことだった。