家族を犠牲にできないと
管理職を避ける女性たち
女性管理職候補者への研修を行っていても、本当は管理職になりたくないわけではない。自分が逆に周囲のメンバーのためにもリーダー的役割をやりたいという人もいます。
でも、今の責任と負担を一身に背負う管理職にはなれないと言います。子どもが熱を出しても、トラブルがあったら帰ることができない。大事な家族イベントや学校行事があっても、管理職だから休めない。管理職になるということは私生活を犠牲にすることなのか。そう思うと手を挙げることをためらってしまう。
経営層は女性の管理職比率を上げるために、人事部に女性活躍推進の取り組みをするように言います。でも、その前提にあるのは、今の男性陣と同じように、会社中心、仕事中心で働く管理職像です。人事部もそれではなり手がいないと、頭を抱えてしまう。
何かがおかしいと思いませんか。職場の中で大事な仕事が、誰も本当はなりたくない仕事になる。管理職になることの意味もやりがいも見えてこない。このままでは本当に、管理職になる人がいなくなる会社も出てきてしまうのではないでしょうか。あらためて、魅力的で支えたくなる管理職像とは何なのか、考えてみる必要がないでしょうか。
役員クラスの責任逃れが
管理職に負担をかける
管理職をめぐり根幹で問われていることは何なのでしょうか。
1つ目は、管理職に責任と負担が集中してしまう状況を変えることができないのかということです。管理職の上にいる経営者が最後はすべての責任を負うと言いながら、実際には管理職の中でどうにかしなければいけないことが多い。
それこそ管理職の上司にあたる部長クラス、役員クラスの人が逃げてしまう会社もあります。社員も、うまくいかないことがあると管理職がしっかりしていないからだと責める。こんな状況になると、管理職の中にはうまくその責任、負担から逃げようとする人も出てしまう。
誰かに責任と負担が集中するということは、自分の責任と負担を押し付けている人もいるということです。こうした構造の中で働くことは不健全だと思いませんか。
自分が行う行為は、誰かに、何かに影響を与えます。であればそこには責任が生まれます。でも、その責任を押し付けられたら、それは負担になるだけ。大切なのは、責任を持つことを自然なこととして受け入れられる関係があるかではないでしょうか。