今の若手世代は周りの目を
気にしすぎていることを知る

 デジタルネイティブでもある若手世代は、周囲の反応を気にし過ぎる環境に置かれてきました。既読がつかない、返信が来ない、良いコメントがつかないと、気にしてしまう若者が多いことも確かです。でも同時に、彼らは周囲の気持ちを大切にしている、尊重している。多様な人たちを受容し、争うことなく尊重し合う関係になることは、むしろ自然なことだと思っている。

 確かに、大学生と接していて、自分から踏み出す勇気がない、持てないという学生が多いことも実感します。でも、みんなでやろうと決めると、そこからは互いの意見を尊重し、知恵を出し合い、楽しそうに活動を始めます。そこには笑顔でイキイキと動き出す姿がある。少なくとも、安心した関係性の中では主体的に行動できる。各人が互いのためにリーダーシップを発揮しています。

 リーダーシップとはあらためて何なのでしょうか。

 能力や意欲が突出した人が、そうではない人に働きかけ、動かしていくことなのでしょうか。突出した人がいなくても、それぞれが互いのために前向きに動き出していくこともリーダーシップと呼べるのではないでしょうか。大事なことは、組織全体が良い方向に踏み出していくこと、現状を変えていく力が湧いてくることなのではないでしょうか。

リーダーシップは生まれつき
備わっているものなのか?

 日本人はリーダーシップに欠けているといわれます。周囲の気持ちを優先し、調和を求めるがゆえに、強い意思を持って決断をし、多少の反対があろうとも、突き進んでいこうとする人が生まれない。だから、変化を起こせない、過去のしがらみから抜け出せない。

 今までの当たり前にとらわれず、新しいものをつくりだす、未来に向けて変革を起こしていくためには、自らの意思で周囲を牽引するリーダーシップが必要なのかもしれません。時には、強引な改革も必要なのかもしれません。

 リーダーシップとは、意思のあるものが人に影響力を行使し、正しい方向に人を導いていくことだと教わってきた人たちが多い。リーダーシップのある人になってください、周囲を牽引できる力をつけてくださいと言われます。だから、リーダーシップは個人の中にあるものであり、自分が発揮するものだと考えてしまう。本当にそうなのでしょうか。