「大学受験」は10代における最大のイベントです。残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。本記事では発刊を記念して著者である、びーやま氏への特別インタビューをお届けします。

高校生Photo: Adobe Stock

学生時代の勉強は社会では使えない?

――「大人になったら理科は使わない」「社会に出れば文系科目は必要ない」といった議論が最近なされるようになりました。どれも受験と結びつくものですが、びーやまさんはこのことについてどう思いますか?

びーやま氏(以下:びーやま):勉強する意味についてはなにかと議論になりがちですよね。受験生が受験科目に対して「大人になったら使わないのにやる意味がわからない」と言うシーンをこれまで何度も見てきました。

 気持ちは理解できますが、意味は自分で見出すものなのではないかなと個人的には感じています。

――どういうことでしょうか。詳しく教えてください。

びーやま:そもそもですが、受験に必要な科目や学校で習う勉強というのは、これまでの歴史をもとに頭のいい大人が範囲を決めています。それは当然吟味されたものであって、意味がないなんてことはありません。

 もし、意味がないと言うのであれば、それはその本人が意味を考えられていないだけかもしれません。

 たとえば、最近話題になっている「理科は大人になったら使わない」を例に取って考えてみましょう。

 SNS上ではなにかと「お掃除動画」として洗剤と洗剤を混ぜたりして掃除効果がアップ!みたいな動画が上がっていますが、それは化学の知識的に大丈夫なものなのでしょうか。強い洗剤には「混ぜるなキケン」と書かれるように、掃除用品というのは化学的な知識を集結させてできています。

 化学に疎い素人が「なんとなく」混ぜると、危ない目にあってしまったり、実は効果が薄まっているということは多々あります。

 こういったことを基礎的に考えるのが「理科」なわけですが、本当に「いらない」と切り捨てて大丈夫でしょうか。

 ほかの科目も同じです。今目の前で使えることだけが「意味のあること」ではありません。その背景にあるものを学生の皆さんには感じ取ってほしいなと思います。

 もちろん、「いや、それでも意味はない」と言いたくなる気持ちもわかりますが。