余談になるが、双川は大分県警察部長のとき、後に大相撲の横綱になる双葉山を立浪部屋に紹介した。しこ名の一文字は自分の名前が含まれており、後援者として著名だった。双川は学生を監督する指導局長に予備役陸軍少将の松室孝良を迎えた。

 松室は陸軍大学を卒業し、中国大陸で満州国の拡大など特殊任務を担う特務機関長を務めた。内務省と陸軍の結びつきによる起用とみられ、大陸問題を扱う興亜科の設置を企画。学内にはこの2人が実権を握ることに憤慨する声もあった。

 松室はすぐに学内で舌禍事件を起こした。「国民精神作興に関する勅語奉読会」で訓示したとき、「この学校のどこに学問の蘊奥がありますか。ないではありませんか。学生はだらしない、教職員もだらしない。教授諸氏は責任を感じて態度を改めるべきである。明治大学は大学の資格はないのであります」と述べた。

 教授たちは「侮蔑」と受け止めて怒り、各学部は教授会を開き、授業をボイコットするなど学内は混乱した。松室はこの間、「授業をしなければ学部長を辞めさせ、各教授が応じなければ片っ端から首にすべき」と反論し、撤回も謝罪もしなかった。総長の木下が陳謝して騒ぎは何とか収まったが、松室は翌年、辞職した。後任も予備役軍人が招かれるなど、軍人出身者や警察官僚が大学幹部として学内を統制する体制は敗戦まで続くことになった。

朝ドラ『虎に翼』のヒロイン
日本初の女性弁護士を育てた明治大法学部

 最後にエピソードを2つ紹介したい。2024年のNHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』のモデルになった三淵嘉子は1930年代、唯一女性に門戸を開いていた明治大学専門部女子部法科に入学した。その後、明治大学法学部を卒業し、日本初の女性弁護士になった。

 戦前、判事と検事は男性に限られていたが、戦後は希望して裁判官に転じ、女性初の判事、家庭裁判所所長を務めた。原爆裁判では「原爆投下は国際法違反」と初めて明言した。明治大学の先進性を示していると言えるだろう。

 戦後、生田キャンパスとして購入した土地は、通称「登戸研究所」と呼ばれた陸軍第九技術研究所の跡地だった。秘密戦兵器の開発拠点で、毒薬や細菌兵器、スパイ用品の開発、偽札や偽パスポートの製造などが行われていた。

 明治大学は、平和教育登戸資料館を設立して戦争遺跡として保存・活用することを決め、歴史や平和教育の発信地として熱心に整備している。

(文筆家、元朝日新聞記者 長谷川 智)