金融危機を予測していたように
受け取られて話題に

経済学やファイナンス理論の<br />根本を揺さぶる衝撃の問題作『ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質』(上・下) 2009年6月刊。上巻下巻で対照的なデザイン。スタイリッシュな印象を与えます。

 本書の原著は2007年に米国で出版され、2009年に邦訳が出ました。

 米国のサブプライム・ローンを組み込んだ各種債券が欧州で流通してバブルとなったのが2000年代の前半でした。ところが、米国の多くの債務者が地価下落により返済不能状態に陥り、債券を所有していた金融機関が巨額の不良債権を抱えることになります。このバブル崩壊によって欧州や米国の金融機関が混乱し始めたのは2007年でした。この年に本書の原著が店頭に並びます。

 そして、リーマン・ブラザーズの破綻(2008年9月15日)から世界の株式市場が大暴落し、米国の投資銀行が全面的に崩壊した2009年に邦訳書が登場したわけです。

 当時のFRB(米連邦準備制度理事会)議長グリーンスパンが「100年に一度」と言った「ブラック・スワン」が現れたのです。多くの人々がこの事態を眼前にしてうろたえていた時期に出版されたので、日本でも米国でも大ベストセラーになっています。

 タレブが原稿を書いていたのは2004年から05年でしょうから、リーマン・ショックの影はまったくありませんでした。本書の登場は、まるで金融秩序崩壊を予測していたように受け取られたのです。そして実際、その通りでした。

徹底的に罵倒される
偉人たち

 あまりにも広範囲に及ぶ教養を往復しながら叙述しているので、読者はついていくのが大変ですが、古今の大学者への悪口雑言・罵詈誹謗の数々が、じつは快感なのです。ほとんど「天才バカボン」にされています(この訳語は面白いですね)。物語はあちこちに散らばり、発散するように見えて、タレブは巧妙に3人の主人公を配して秩序を形成します。

 主人公の1人はブノワ・マンデルブロ、もう1人はプラトン、3人目はカール・フリードリヒ・ガウスです。

 マンデルブロは1924年にポーランドで生まれ、11歳でフランスへ移住し、58年に米国へ移住したフランス系アメリカ人です。米仏の大学を卒業し、IBMワトソン研究所に勤務して数学、情報科学などを研究していました。本書出版後の2010年、85歳で亡くなっています。マンデルブロの研究で有名なのはフラクタル幾何学です。

 プラトン(AD427-AD347)はギリシャの哲学者、ガウス(1777-1855)はドイツ人の数学者で、統計学のガウス分布(正規分布、ベル型カーブ)などで有名です。

 タレブはマンデルブロを「ブラック・スワン」を理解している人物として本文のあちらこちらに登場させまず。反対にプラトンを、以下のように使います。

 人間には、私がプラトン性と呼んでいる傾向がある。これは哲学者のプラトンの考え(と人となり)にもとづくものだ。人間は地図と本物の地面を取り違え、純粋で扱いやすい「型」にばかり焦点を当てる傾向がある。三角形やなんかの物体も、理想郷(つまり「理にかなった」設計図にもとづいてつくられた社会)みたいな社会的な概念も「型」だし、国民性だってそうだ。そういう考えやかっちりした枠組みが頭の中に組み上がると、人間は、ごちゃごちゃして扱いにくい格好のよくない型よりも、そういう見目麗しい型のほうをありがたがる(で、私がこの本を通じて組み立てていくのは前者のほうだ)。(上巻 17ページ)

 タレブは「ブラック・スワン」を理解するための反対概念として、「プラトン性」と「ガウス分布」(正規分布、ベル型カーブ)を全編に配置するのです。

「ガウス分布」は平均値の周辺が山になるベル型のカーブを描く確率分布です。誤差は「ガウス分布」に従って修正されます。「プラトン性」も「ガウス分布」も秩序へ収斂する美しい型だというわけです。