日本でアドラー心理学の
知名度が低い理由

トラウマを否定するアドラー心理学が<br />今なぜ多くの人に求められているのか神保哲生(じんぼう・てつお)
ビデオジャーナリスト/ビデオニュース・ドットコム代表。1961年東京生まれ。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信記者を経て93年に独立。99年11月、日本初のニュース専門インターネット放送局ビデオニュース・ドットコムを設立。著書に『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』『ビデオジャーナリズム―カメラを持って世界に飛び出そう』『ツバル-地球温暖化に沈む国』『地雷リポート』、訳書に『食の終焉』などがある。ビデオジャーナリスト神保哲生のブログ

神保 なるほど。僕は今日のテーマはとても重要だと思っています。「人は変われる」とか、もっと大きく言えば「幸せとは何か」「自由とは何か」といったテーマです。『嫌われる勇気』という本は、腹にズシンと響くような内容でした。タイトルや帯の「自由とは他者から嫌われることである」というコピーが印象的です。いずれにせよ、アドラーブーム的なものが来そうな予感がしなくもありません。

宮台 今でいうコーチングのルーツは、1970年代半ば過ぎにアメリカで始まったアウェアネス・トレーニング(日本でいう自己啓発セミナー)です。こうした流れのすべてにおいて、アドラー心理学の絶大な影響があります。
 ところが、この日本に限っては、アドラー心理学自体の知名度が低すぎるので、コーチングをファシリテイション(推進・実践)する人たちでさえ、ほとんどが、自分たちがアドラーの掌の上にある事実を、ご存じないんですね。

神保 それは驚きです。岸見先生なぜなんでしょうか?

岸見 ひとつは、日本のアカデミズムでアドラーが取り上げられることが皆無と言っていい状態だからです。学校で心理学を専攻するとフロイト、ユングについての講義は受けるのですが、アドラーについては名前と若干の思想を教授が話し、学生は記憶の片隅に置くくらいの扱いですね。まずはそれが大きな原因かと思います。

神保 では、日本のアカデミズムでフロイトとかユングが認知を受けているのに対し、アドラーがあまり普及しなかったのはどのあたりに原因があるとお考えですか?

岸見 アメリカでもやや似たような状況があります。アドラーはウィーンの精神科医ですが、ナチスの台頭に伴って活動の拠点を晩年にはニューヨークに移しました。あるとき、ニューヨークの医師会から講演を依頼されたことがあります。それは精神科の医療にアドラー心理学の考え方だけを採り入れたいという話でした。そこで我々だけにアドラー心理学を教えて欲しいと医師会がアドラーに申し入れたのです。すると「いやそれはできない。私の心理学はみんなの心理学だから」とアドラーは言ったそうです。アドラーの心理学は「個人心理学」と言うのですが、専門家の心理学ではなく、みんなの心理学であるということですね。
 同じようなことが日本に紹介された頃にも起こったようです。専門家たちの間で自分たちが優先的にアドラー心理学を学びたいという動きがありました。ところが、日本アドラー心理学会という学会があるのですが、そこは普通の人々、つまり非専門家の集まりだったのです。そうした非専門家と一緒にやりたくないという医療関係者やカウンセラーが初期の頃かなりいたという状況があり、それが最初のつまずきになったのではないかと考えています。