幸之助が
成長し続けられた秘訣とは

 苦難が人間を成長させ、艱難辛苦を経て最後は勝利する、とはベートーヴェンの交響曲のようです。コッターは草稿を世界中の有力な経営者に読んでもらったそうです。

 本書の草稿に目を通したアメリカ、ヨーロッパ、アジアの成功した実業家は異口同音に、「まるで自分を見ているようだ」と語っている。(274ページ)

 つまり、幸之助の評伝には普遍性があるというわけです。

 では、どうして幸之助は9歳で働き始めてから94歳で没するまで、「たえず学び続け」、成長を続けることができたのでしょう。コッターは273ページに幸之助の「業績の成立」にいたる道をフローチャートにしています。大項目だけを抜き出すと、

 一連の悲劇がもたらしたもの → 目標と信念の進化 → 成長を推し進めた行動 → 個人として指導者としての生涯にわたる成長過程(273ページ)

と、こうなります。「悲劇」が成長の駆動力だったということですが、幸之助自身はどう思っていたのか、本書ではなく、女優・高峰秀子(1924-2010)との対談で率直に語っています。高峰秀子も小学校にほとんど行かず、5歳から子役で映画に出演し、家族を養っていました。50代を迎えてから文筆家としても知られ、日本エッセイストクラブ賞を受賞しています。

松下 五歳から独立されたわけですな。つまり職業についたわけでしょう? そうするとあなた、私より先輩ですよ。私は九歳まで親のもとで学校へ行ってましたからねえ。こりゃ四年の先輩だわ。頭が上がらんわ。(略)十歳から十五歳という期間は非常に尊い期間でねえ。その間にものがおぼえられる。僕はやっぱり、幼年時代に平凡に勉強させるだけでなく、苦労というとおかしいけれど、なにか波乱というか、波乱にもいろいろあるが、好ましい状況において波乱があると、これはさきへいって役に立ちますね。(略)あなたも僕も、境遇上そうせざるをえなかった。これは今になってしあわせですな」(高峰秀子『いっぴきの虫』文春文庫、2011)。

 「境遇上」、波乱に満ちた幼年時代を過ごし、小学校も卒業できなかったわけですが、こうした「悲劇」によって自力で勉強を続けることになり、成長を持続させたことこそ「しあわせ」だったと述懐しているのです。

 高峰秀子も講演の最後に「人生、死ぬまで勉強です」と話していたそうです(『いっぴきの虫』解説)。死ぬまで勉強、死ぬまで成長、これができるかどうか、じっくり本書を読んで考えてみましょう。


◇今回の書籍 58/100冊目
『幸之助論――「経営の神様」松下幸之助の物語』

「経営の神様」のリーダーシップを客観的に分析<br />伝記を超えた価値のある必読の経営学書

いくつもの逆境をくぐり抜け、自分の夢を組織の夢に、さらに社会に奉仕する夢にまで高めた。「利益をあげているということは、社会に奉仕、貢献できている証である」という幸之助独自の利益観も意義深い。―――神戸大学大学院 経営学研究科 教授 金井壽宏

ジョン・P・コッター:著
金井壽宏:監訳
高橋啓:訳

本体1,800円+税

ご購入はこちら!