あの「経営の神様」を
5年間じっくり分析

 本書の著者ジョン・P・コッター(1947-)はマサチューセッツ工科大学(MIT)で電子工学・コンピュータ科学科を卒業し、MITスローン・スクールでMBA、HBSで博士号を取得しています。

 幸之助が没したのは1989年ですが、90年にコッターはHBSの松下幸之助による寄付講座の教授に就任し、2001年に退任して現在は同講座の名誉教授となっています。

 90年当時、コッターは「傑出したビジネス・リーダーについての分析的な伝記を書こうと」考えていました。春先にHBSの学長から「松下幸之助記念リーダーシップ講座」教授就任の辞令を受けたとき、気乗りしなかったものの、幸之助に関する資料を読み始めます。一気に引き込まれ、秋には幸之助の分析的な評伝を書こうと決意します。

 資料収集と取材は1992年から93年に行ない、94年から96年にかけて草稿を執筆し、96年に仕上げて97年に出版しました。こうして長期間にわたる調査研究を経て叙述された評伝です。一語一語まで彫琢された表現に驚かされます。翻訳も練り上げられた日本語です。「評伝文学」といってもいいでしょう。

 伝記的な詳細については本書を味読していただくとして、コッターが到達した分析の結論をご紹介しましょう。

 商人の丁稚からビジネス・リーダー、大企業の創業者、教育者へと変貌する彼の人生を通して一貫して流れている最大のテーマは、人間として、実業家として、リーダーとして成長することにつながっている。若き幸之助には高い学歴もなく、資産もカリスマ性も人脈もなかった。三〇年にわたり幸之助と手を携えて働いた井植歳男(筆者注・幸之助夫人の弟、三洋電機創業者)は現に、若い時の幸之助には特別才能があったわけではなかったと語っている。スタートは地味だったが、彼は成長に成長を重ねた。裕福になることがえてして傲慢さと冷淡さにつながる世界にあって、彼は珍しく人を堕落させる力に冒されなかった。/人生の早い時期にはそれほどぱっとしなかった人物が、八五歳になって、教育という新たな仕事に手を染めた。それは、彼がたえず学び続け、時代に応じて自己を変革し、晩年になってその絶頂を迎えたからであり、その勢いは死の数年前にようやく衰えを見せたにすぎなかった。結論を言えば、彼があれほどの業績を上げられた最大の理由は、大きな成功とよく結びつけられる、知能指数やカリスマ性、特権、幸運その他諸々の要因にあるのではなく、まさに、その成長にあったのだ。(269-270ページ)