「乳癌は遺伝する」は本当なのか?

 ほとんどの人は、もし問われたら、乳癌は遺伝性が強いと答えるだろう。確かに、BRCA1遺伝子やBRCA2遺伝子のような、稀な変異を持つ家系では遺伝しやすいが、全体的に見れば、遺伝性のものは25~30パーセントにすぎない。ゆえに、クリスティンとマレンのように、同じ遺伝子構成を持つ一卵性双生児でも、ふたりそろって乳癌になることは少ない。

 またこの病気は、年をとるほど遺伝性が弱まり、70歳以上になると遺伝の影響はほぼ消える。そして、発症するのはたいてい70歳から後なのだ。遺伝性の病気と聞くと、たいていの人はまず乳癌を思い浮かべるが、その遺伝率は、背中の痛みのような一般的だがそれほど深刻でない病気の3分の1でしかないのである。

「全体的に見れば、遺伝性のものは25~30パーセントにすぎない」と述べたが、だからと言って遺伝子が関与しないわけではなく――実際には、その進行に深く関わっており、遺伝学者は、乳癌に関して、少なくとも10種類の遺伝的に異なるサブタイプを発見している――、遺伝子の変異や遺伝的リスクが世代から世代へ伝わる力が弱いというだけのことだ。マレンがクリスティンと同じ型の乳癌になる確率は50パーセント未満だが、もしクリスティンの乳癌がBRCA1遺伝子かBRCA2遺伝子がもたらしたものなら、マレンが乳癌になる確率は90パーセントにはねあがるだろう。

 クリスティンを診察した開業医たちは、彼女のような若い乳癌患者を診たことはなかったが、ピルのせいで乳房の組織が変化した例はよく知っていた。その点において、クリスティンは運が悪かった。乳房の組織が高密度で硬い女性(主に遺伝による)は、癌になるリスクが高く、しこりの検査や触診が難しいということがわかっている。乳癌は若い女性には非常に少なく、25歳以下で発症する人は、イギリスでは年間約20人しかいない。そして、年齢が上がるとともに、その数は増えていく。乳癌と診断される人の80パーセントは50歳以上で、定期健診が推奨されるのも、この年齢からである。イギリスとアメリカではおよそ8人に1人が乳癌になる。その割合はこの30年間で徐々に増え、イギリスでは2倍になった。

 実際に患者が増えているということもあるが、診断や検診が進歩したことや、早期の可逆性の変化(上皮内癌)を癌に含める近年の傾向によるところもある。また、乳癌の罹患率は、国によって大きく異なる。北ヨーロッパのそれは、アフリカやアジアの4倍だが、日本と、社会的にも経済的にも変化している中国の都市部でも近年急増しており、それは検診の進歩だけでは説明しきれない

 正確には何が、クリスティンの癌――女性の癌の中で最も多く、マレンがなる確率は低い癌――の原因なのだろう。疫学者はこの数十年間で、その危険因子をおおかた解明したと考えている。その中には、早い初潮、最初の妊娠の高齢化、遅い更年期等々の、ホルモンに関するものが多く含まれる。これらの因子はすべて、母乳育児の減少と同様に、ひとりの女性が生涯に経験する排卵(生理)の回数を増やす。

 ピルの主成分であるエストロゲンプロゲステロンは、乳房組織の過剰な成長を促すため、乳癌の危険因子となる。排卵回数を減らすことと乳房組織の成長を促すことという、ピルのふたつの効果は相殺しあい、結局、リスクがほんの少し(15パーセント)増すだけで、それも、ピルの服用をやめればすぐゼロになる。

 自然のエストロゲンの影響も無視できない。脂肪組織はエストロゲンを蓄えるので、肥満女性は乳癌になるリスクが30パーセント高い。出生時の体重が平均よりずっと重かった女性もリスクが高い。これはおそらく、母親の血中のエストロゲン濃度が高かったせいだろう。一方、母親が妊娠中に高血圧だった場合、エストロゲン濃度は下がり、娘が乳癌になるリスクは減る。つまり、出産の高齢化、出生時体重の増加、母乳育児の減少、肥満の増加は皆、若い頃のエストロゲンの血中濃度を高くし、近年の乳癌が増えていることの原因の一部となっているのだ。