「ありがとう」のワナに
ひっかかるな
岸見 周囲の人から“嫌われない”ように生きるということは、その人たちの期待を満たすために、自分を押し殺して生きる、不自由な生き方です。
はあちゅう 確かにそうですね。私は去年まで会社員として働きながら社外でも活動していたんですが、「あいつばっかりいいとこどりをしている」「会社の仕事がおろそかになっている」と思われているんじゃないかと、常に不安で周囲の目が気になっていました。
岸見 そんなときには、どうしていたのですか?
はあちゅう 結局、最後まで解決はしませんでした。それもあって独立したんですが……。実際は、全くそんなこと思われていなかったのかもしれませんが、自分がそう考えてしまうのを抑えられなかったんです。周りの目を結構気にする性格なので。
岸見 なるほど、結果的にはそれでよかったのかもしれません。自分を嫌う人がいたら、それは自分が自由に生きている証。それくらいの代償は支払ってもいいんじゃないですか? 周囲の人に嫌われないよう、自分の気持ちにフタをして長年過ごしていると、何かの拍子に「私は今まで何をしていたんだろう?」と気づいてしまったときが怖い。そうならないためには、誰かに嫌われても、認められなくても「自分は価値のある人間だ」と思えることが大切です。
はあちゅう 本の中にもあった「幸福とは、貢献感である」(本編253ページ)という言葉にもつながりますね。私は以前は、「テレビに出られたら幸せ」とか「本を出版できたら幸せ」だと考えていたんです。でもいざその夢が叶ってテレビに出たら、うっかりタレントさんと自分を比べて「もしももっと美人だったら……」と、また「もしも」の世界に逆戻り(苦笑)。「すごいね!」「よかったね」と言われても、幸せをつかんだ瞬間にまた欲が出て、するっと抜けていってしまうような気がしたんです。
それよりも、私がブログでオススメした店に読者の方が行って感動してくれるとか、そんなふうに「誰かの役に立てた」と感じることのほうが、揺るぎない幸せだな、と最近は思いますね。
岸見 家族のために家事を率先してやったり、職場の人に「おはよう」と言って相手の気分がよくなったりすることも十分立派な貢献です。「自分は価値がある」と思える瞬間です。それが実感できれば、仮に対人関係で厄介なことに直面しても、嫌われることを恐れず、飛び込む勇気がもてるようになるはずですよ。
はあちゅう 「ありがとう」と言われるのも幸せですね。
岸見 はい。ただしひとつ注意したいのは、「ありがとう」と言ってもらうことが目的になると、それはまた相手の期待に沿うように自分を抑え込む、不自由な生き方になってしまうということ。「ありがとう」はあくまでも貢献の結果です。本当の意味で“貢献感”がもてていれば、わざわざ人から認めてもらいたいと思わなくなります。