時にあっけにとられるほど弱々しく崩れさり、時に信じられないくらい逞しく危機を乗り越える――。予測不可能に陥った21世紀の経済に対して、経済学はまだ有効か?
学問から実業まで飛び回るエコノミストにして「ネットワーク理論」を経済学に持ち込んだ第一人者ポール・オームロッドの新著『経済は「予想外のつながり」で動く』。インセンティブを、合理的経済人を、効用を、そして経済学そのものをネットワーク理論でアップデートする野心的な本作から、刺激的なトピックを抜粋してご紹介する特別連載第4回。ある実験を引き合いに、消費者が合理的経済人から「合理的模倣人」に変わったことを宣言。マーケティング担当者必見。

マーケティング担当者の永遠の悩み
――何が売れるかを事前に予測することはできる?

 経済学や公共政策、ポップ・カルチャーなどの分野では、社会の中で進むプロセスの結果を予測する作業に膨大な資源が投じられている。しかし、そういう予測は痛々しいほど不正確だ。ポップ・カルチャー市場の目立つ特徴2つといえば、第一に大きな格差があること(大ヒットになった曲や本、映画は、平均の何倍も人気がある)、第二に予想がつかないことだ。

 想像してみてほしい。大企業のマーケティング部門で働いているとする。今、既存のブランドで新製品を出そうとしている。そうだな、マースのチョコバー、フルーツ味ってところでどうだろう(私の知る限り、そんなものがあったためしはない)。それから、政党や圧力団体が政策の変更を考えるときと同じプロセスをたどってみよう。そういうとき、政党や圧力団体は微妙に違った政策をいろいろ試す。彼らと同じように、マーケティング部門もさまざまな代替案――さくらんぼ味、バナナ味、グーズベリー味――を試し、消費者のグループを集めて製品を徹底的に試験する。そうやって誰も好まない味を候補から外し、もっと少数の候補に絞ろうとする。どれを売り出そう?

 マーケティング・リサーチが主に個人として動く消費者に焦点を当てている場合、市場にネットワーク効果が働いているなら、どの味が実際にはよく売れるか、発売前に予測することはできない。ほとんどの新製品は失敗に終わる。そしてその原因はネットワーク効果だ

 しかし希望はある。未来は完全に読めないわけではない。製品なり政策なりキャンペーンなりが公に発表されるまでは、確かにカーテンはしっかり下りている。しかし、すぐに隙間から光が射す。こういうはやりで動くプロセスの重要な特徴は、最終的にはやるかどうかがプロセスのとても早い段階で決まるということだ。

人気は品質とは関係ない?

 ネットワーク化した世界では、どんな進化の過程も、さまざまな選択肢の人気が刻々と変化していく場合のように、過程の初期に勝負が決まる。そういう考えを巧妙に表現したのはブライアン・アーサーだ。非常に独創的なイギリス人の経済学者で、長年ニューメキシコとカリフォルニアで研究を行っている。アーサーがこの分野での研究を行ったのはもともと1980年代であり、ネットワークの科学が爆発的に発達するよりはるかに前のことだ。だから彼のモデルは、明示的にはネットワーク理論の言葉で表現されていない。しかし、彼のモデルにはすでに説明した経験則よりもいいところがある。彼は、現実の世界でよく見られる特定の過程について、演繹で答えを導いているからだ。

 アーサーの最初の研究は、非線形確率論というとても抽象的な概念を扱うものだった。この概念は「ポリアの壺」とも呼ばれている。本書にはあまり知られていない学術誌がいくつか出てきたが、たぶんこの研究が発表された学術誌は、中でも一番この世のものとは思えない類のものだろう。彼は1983年にロシア人の数学者2人、エルモリエフおよびカニオフスキと論文を書き、ロシア語のタイトルのついた学術誌『キバーネティカ』に発表している。

 とても大きな壺があり、その中には赤い球と黒い球が同じ数だけ入っている(色はあまり重要でない)。球を1つランダムに選んで取り出し、同じ色の球を1つ追加して壺に戻す。同じ手続きを限りなく繰り返す。この大きな壺の中にある黒と赤の球の割合について、何かわかることがあるだろうか? 最初は50対50から始めるわけだが、割合はどんなふうに変化していくだろう?

 もちろんわかることはある。アーサーと同僚たちは、選んで戻すという手続きを続けると2色の割合は常に――常に――100対0に近づいていくことを示した。最初は両方の色の球が入っていて、100対0になることはまずないが、どちらかの色の球ばかりの状態へどんどん近づいていく。問題はというと、赤ばかりになるか黒ばかりになるかは、事前にはわからないということだ。ダンカン・ワッツの実験のように、過程が始まる前に最終的な勝者を言い当てるのは非常に難しい。アーサーの数式を厳密に解くと、100対0に近づくという以外には、当たるも八卦以上の正確さで結果を予測するのは、文字通り不可能だとわかる。

 またアーサーたちは、最終的な勝者は過程全体のとても早い段階で優勢になることを示した。ランダムに選んで戻す手続きによって、ひとたびどちらかの球のほうが多くなると、それを覆すのはとても難しくなる。分析はとても抽象的に行われているので、実証で経験則を使う場合と違い、「とても早い段階」が厳密にどの段階なのかは具体的に言えない。しかし原則はとてもはっきり示せている。

 これが魚(でもなんでも)の価格といったことと、どう関係があるというのだろう? 無限大の大きさを持つ壺から球をランダムに取り出しては戻すなんて、抽象的な感じがする。最初、出た球と合わせて追加の球が壺に入れられると、次に球を取り出すとき、それと同じ色の球が出る可能性は、50対50を少しだけ上回る。どれだけ上回るかを数字で書こうとすると、小数点以下に0をいくつ並べないといけないかわからないぐらいだろうが、間違いなく上回っている。消費者が2つの複雑な選択肢から1つを選ぶときに、球の色、つまり選択肢の性質とは関係なく、ただ「どれだけはやっているか」で選ぶ状況に似ている。選択するときの球の分布は、すでに選択を行った人たちをつなげるランダムなネットワークだ

 ブライアン・アーサーは、1989年に、自分の得た結果が現実にどんな意味を持つかを『エコノミック・ジャーナル』に発表している。新しい技術が開発されたとする。アーサーの論文以降の例を使って、インターネットの検索エンジンだとしよう。新しい技術には2つの型があって、消費者はそのうち1つを選ぶ。アーサー自身はビデオ・デッキを例に用いている。1980年代のスカイ・プラス・ボックスだ。これはまったく新しい技術で、それを使ったさまざまな製品を、まだ誰もちゃんと評価できない。そういう場合、人まねの原理を使うのがまったく合理的であるように思える。誰かが選択を行う。抽象的なモデルでいえば、球を壺からランダムに取り出すのにあたる。ブランドBではなくブランドAが選ばれると、そのことで、次に誰かに選ばれるのがブランドBではなくブランドAである可能性が少しだけ高まる。アーサーのモデルで、球を取り出したときの手続きの決まりごとがそうなっていた。そんな過程が続いていく。

 もちろん現実には、あるブランドが他を凌駕するときには、消費者が他人を真似るという以外の要因も働いているし、そういう他の要因がその製品による市場の支配を促進したりもする。正のフィードバック、つまりポジティブ・リンキングも働いて、成功がさらなる成功を呼ぶ。たとえば、成功したブランドはもっと宣伝するようになるだろう。販売店はそのブランド用の棚を広げるだろうし、小売業界の符丁を使うなら、競合商品の取り扱いをやめてしまうかもしれない。そうやって競合するブランドはどんどん買いにくくなってしまう。技術も売り方も、ナンバーワンのブランドにあわせて展開され、そうやってそのブランドはさらに後押しを受ける。アイフォンとそのアプリケーションの関係を考えてみるといい。

合理的経済人から「合理的模倣人」へ

 ここまできてやっと、21世紀の世界における合理的エージェントの行動モデルを作り上げるためのジグソー・パズルのピースが集まりはじめた。インセンティブはやはり影響を与えているが、もっと重要な役割を果たしているのは、ネットワーク上にいる他のエージェントの行動を「真似する」動きだ

 心理学が検出した証拠によれば、人まねは、現代の世界に適応するうえでとても賢明な戦略だ。選択肢の数は膨大、提供される製品やサービスはとても複雑で、評価するのが難しい。そして通信技術が大きく進歩したおかげで、私たちはこれまでに比べてはるかに他人の行動や考え、購買行動を観察できるようになった。合理的経済人なんて概念は、もうほとんど意味のないものになった。その代わりに今そこにいるのは「合理的模倣人」だ。

(了)