岩崎 それは、ドラッカーの出発点が学問に対する絶望だったからかもしれません。1929年にアメリカで大恐慌が起こったとき、彼は20歳。当時は「恐慌は起き得ない」という理論があって、経済学を勉強していたドラッカーもそれを信じていたんですね。でも、皮肉なことに、その理論が恐慌をひどくしてしまった側面もあった。その理論を信じた人々がさらなる投機に走って、結果的に大暴落の憂き目を見、路頭に迷ってしまったからです。ドラッカーはかねてから「人を幸せにしたい」という信念を持っていたので、多くの人が路頭に迷っている様子を見て「経済学は人を幸せにできないのか?」と疑問を持ったそうです。
入山 ああ、わかるような気がします。
岩崎 その意味で、ドラッカーは何より「現実世界に寄与したい」と考えていたので、彼の本が「学問」にならなかったのは必然かもしれません。実際、ちまたでは「経営学者」とも言われていますが、自分ではそれを好まずに「学者というなら社会生態学者で、ダーウィンみたいなものだ」と言っています。つまり、事象を観察して、その結果を省察して、新しい現実を発見するということですね。
入山 なるほど、社会生態学者か。そう言われるとしっくりきますね。
岩崎 僕自身、はじめて『マネジメント』を読んだとき、ずいぶん過激なことが書いてあるなあと思ったんです。「このような資質(注・真摯さ)を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、マネージャーとしても紳士としても失格である」というところとか、なんというか……高僧の説教にも近いものがありますよね。
入山 あはは、説教ですか(笑)。でも、それが多くのビジネスマンに響くんでしょうね。学者って、自分がおもしろいと思っていることを研究するために学者をやっている人ばかりだから、「役に立つこと」より「真理を追究すること」のほうが大事なんです。ごくまれに「世の中の役に立ちたい」という人もいるかもしれないけれど、それだと学者間の競争に負けてしまう。
岩崎 なるほど、そうなんですね。
入山 世界の経営学のトップジャーナルである「ストラテジック・マネジメント・ジャーナル」に2012年に発表された論文は、73本。「この研究がいかに実務に役に立つか」はだいたいどの論文にも1パラグラフ程度は書いてありますが、この73本のうち、その部分に2パラグラフ以上割いていたのはせいぜい3本程度ですからね。
岩崎 へえ!
入山 だから、「世の中の役に立ちたい、インパクトを与えたい」というところから学者を志すと、学問の途中で絶望しちゃう人がいるんです。もちろん、どちらがいいという話ではなく、考え方の違いなんですよね。
岩崎 入山先生も、学者でいることのモチベーションは、個人的な「おもしろさ」ですか?
入山 そうですね。役に立つかどうかよりも、「おもしろいか、おもしろくないか」が僕の最大の価値基準ですね。研究も、本を出すことも、メディアに出ることも、おもしろいから続けているんだと思います。こうやって岩崎さんとお話するのだって、めったにできないおもしろい経験ですから。