岩崎 似ているところ、ですか。

入山 ええ。岩崎さんはドラッカーという「大事なことが書いてあるけれども、抽象的で理解しづらいこと」を、誰にでも伝わる形で表現し直しています。これって、『もしイノ』に書いてある言い方に則れば「干物を水で戻す」作業ですよね。僕の本も、海外の経営学者が書いた抽象的で統計分析ばかりの研究論文を、エッセイ風の「水で戻した」んです。そうすることで、普段は学術論文なんて読まないたくさんの方に楽しんでいただくことができた。

「経営学者はドラッカーなんて読まない」は本当!?

岩崎 たしかに、やっていることは近いですね。

入山 ただ、「水で戻す」アプローチがまったく違うんです。たとえば、世の中には「マンガで学ぶ日本の歴史」のように、とっつきやすいマンガという形で水に戻すやり方はよく見られます。「マンガ風」ですね。そして、僕の戻し方である「エッセイ風」。これも、数は多くはないけれど、目にすることはある。一方で『もしイノ』は、いわば「小説風」で水で戻していますよね。そんな作品、少なくとも僕はほかに知りません。それに、この三つでいちばん難しいのは小説風だと思います。ひとつの物語として成立させ、さらにドラッカーの要素を加えていくわけですから。しかもマンガみたいに画に頼れない。僕は、『もしイノ』のおもしろさはこの文学性にあると思います。「ドラッカーの教えを知りたい」というより「(登場人物の)真実(マミ)はいったいどうなるんだ!」と気になって睡眠不足になりかけましたから(笑)。

岩崎 小説は、詩などの定型的な文学から発展したもので、昔から決まった形式を持たないというのが特徴でした。そのため、どんな表現でも受け入れる懐の深さがあるんです。とくに近代日本では、筒井康隆さんがフロンティアに立たれていて。彼の『文学部唯野教授』(岩波現代文庫)という作品では、小説に文学理論を乗せてレクチャーするという取り組みをされているんですよ。

入山 あ! それはまさに『もしドラ』『もしイノ』の手法ですね。

岩崎 ええ。筒井さんのこの作品にインスパイアされ、僕もいつか他の表現形態を取り入れた小説を書きたいと思っていました。そんな背景もあって、ドラッカーというビジネス書を表現するにあたって小説という形態を選ぶことは、僕にとっては不自然ではなかったわけです。

入山 なるほどなあ。お手本というか、ベンチマークがあったんですね。

岩崎 そうです。あとは「小説としておもしろくする」だけですが、そこに関しては、僕は修練を積んでいたので一日の長があったのかもしれません。一応、「おもしろいとは何か」「何がおもしろいのか」ということを、人生をとおしてずっと考えてきていますから。その知識や経験を活かして書いたのが『もしドラ』、そして『もしイノ』ですね。

入山 どうやら、岩崎さんと私の共通のキーワードは「おもしろい」ですね(笑)。

(後編は12月11日公開予定です)