みんなが同じ場にいることに意味がある

 そう、卒業式は人生の大切な門出の儀式です。ちゃんと立会人がいて、象徴的な意味もこめられています。たとえばこの、ゼロからの出発の通過儀礼にぴったりなのがこの、いまいるところ、会場ですよ。いつもなら、こんなありきたりの言い方はどんなことをしてでも避けるのですが、ほら、わたしたちはこうして、文字通り平らなグラウンドにいるでしょう。ここが重要なところです。意味があるんですよ。

 それに、きみたちのその式服……無定形で、みんな同じで、誰が着ても合います。男だろうと女だろうと、背の高い人だろうと低い人だろうと、勉強熱心な人でも怠け者でも、スプレーで肌を小麦色にしたダンスパーティーのクイーンでも、別の銀河から来たXboxゲームの暗殺者でも、みんな着たらまったく同じように見えます。それに、きみたちの卒業証書も……名前のところを除けば、まったく同じです。

 これは全部、そうあるべくしてそうなっているんです。きみたちは誰も特別じゃないから。

 きみは特別ではないんです。特別優れているわけじゃありません。

 U9のサッカー大会でトロフィーはもらったかもしれないけど、中学1年のときの成績表は素晴らしかったかもしれないけど、どこかの太ったパープルダイナソーの着ぐるみや、あのテレビの人気番組『ミスター・ロジャーズ・ネイバーフッド』に出ていたやさしいおじさんやちょっと変わったおばさんみたいな人は会うたびに頭を撫でてくれたかもしれないけど、それに、ママも何度となくあのバットマンみたいにピンチを救いに来てくれたとしても……きみは別に特別じゃないんです。

続きは次回(2月18日)公開予定です。