核となる強み、守るべき点と大変革をすべき点を見抜く
大村は、戦略(ストラテジイ)と戦術(タクティクス)の違いを理解していました。
「江戸湾の防禦として幕府が品川に台場を築いたことは知っておろう。あれはタクチックだけで、ストラトギイということを知らない人間がこしらえたものである」(木本至『大村益次郎の生涯』より)
右の言葉は、自らの門下生に言ったものですが、大村は本質を理解したことで、変革すべき点や無駄な点を見抜く力をもっていたのです。
スイス製の安価でファッショナブルな腕時計として有名なスウォッチは、1985年にニコラス・ハイエクという技術コンサルタントの発案から始まりました。彼はスイス製でありながら、日本の独占する低価格腕時計の市場を奪い返す新製品がつくれないかと考えたのです(当時のスイス製のシェアは低価格0%、中級3%、高級品97%)。(ゲイリー・ハメル、C・K・プラハラード『コア・コンピタンス経営』より)
彼はアジアの競合企業にマネできない、しかしヨーロピアン感覚と落ち着きをテーマにした低価格の腕時計を企画し、一方で設計・製造・流通などは大変革に挑戦しました。スイスの古い伝統を打破し、労務費を小売価格の1%程度まで削減したのです。
さらにスウォッチの成功による利益をスイス製高級腕時計のオメガ、ブレゲなどに投入して、最新の生産管理と直営店舗を導入。高品質のイメージを維持しながら高収益を達成しています。ハイエクは守るべきものと変革するものを正しく見抜き、良き伝統の中に大変革を内包させたのです。前出『コア・コンピタンス経営』には、「市場は成熟するが、企業力は市場を超えて伸びる」という言葉があります。
大村やハイエクは異業種から参入し、その本質を捉える能力を新たな舞台で発揮した一方で、榎本武揚や旧幕府軍人は、徳川幕府という伝統と古い思考の枠に囚われており、最新の武器を手にしても、その威力を引き出すことができなかったのです。
(第13回に続く 4/20公開予定です)