ヒエラルキーに見る、男女の差

楠木 男は、「俺、でかいぜ」というの好きなんですよ。もうね、みんな遠回し、遠回しに、「俺でかいぜ」といろんなことを言っている。みんな大人なので、「さようでございますか、なるほど」と言っているんですけどね。本心は「ドーダ!俺はデカいだろ」。そんな光景を眺めていると、ビバ人間!って感じがして、しみじみと味わい深い。

 女の人はそういうのはあるんですか?

和田 私も若干ちょっと、男性ホルモンが強いようでして…。あまり女性の気持ちがわからなくて(笑)

楠木 僕は仕事の局面では基本的に男女の差はないと思ってるんです。それでも本能のレベルに降りると男女の差はやはりある。10年以上前なのですが、J-Win(ジャパン・ウィメンズ・イノベイティブ・ネットワーク)というNPOに呼ばれて講演をしたことがあって。

 行ったらもう、働き盛りのおばちゃま70人。男は僕1人なんですよ。男社会で生きる女性の気持ちがわかりましたね(笑)

 このときの経験で男女で違う面があると思ったのは、女性のほうがヒエラルキーがない。場の雰囲気がフラット。年齢とか役職とか関係なく、みんな平場でバトルロワイヤルなんですよ。男は会社の規模、社歴、名声、役職ですぐに序列をつけるんです。

 僕の経験で言えば、経団連の集まりとか自民党本部の勉強会とか、自然発生的に序列ができる。で、みんながその序列のコードに従って行動する。女性はそれがないんですよね。男の社会と違って、なんだかすごく風通しいいなと思ったんですよね。きっと男ばっかりの社会だとこういうふうにはならない。

和田 たしかに。男性の上司が女性を扱いにくいのは、女の人は「(この職場で)失うもの何もない」という強さのようなものが、どこかにあるような気がします。「別に、これで辞めてもいいし」とか「無理をしてまで、上司に気に入られたいとも思わないし」とか、「職位や序列よりも、人として尊敬できるかどうかを見ていますから」とか。

 口には出さなくても、こういう思いを持っている人は、それなりにいるのではないでしょうか。そうなると、権力を振りかざして部下をコントロールすればいい、というわけにはいかないかもしれません。

椅子取りゲームをする男性

楠木 これも、大雑把な話ですけど。本性からして男はね、椅子取りゲームをしているんですよ。いつ音楽止まるのかなって…。

和田 そわそわしながら(笑)

楠木 そわそわしながら(笑)まだ、おまえ、鳴ってるのに座るなよ、みたいな。女の人はあまりないらしいですね。

和田 そうですね。

楠木 だから女性は、男性を見ながら、「椅子取りゲームやっていて、みんな大変ね」、「ちょっと、音楽止めちゃう?」みたいな目線なんでしょうね。音楽止めて、「ああ、なんか、ジタバタしてるー」、といって冷笑しているみたいな。

和田 かもしれません。男性からすると、ある種の、ここは怖さっていうか、得体の知れなさみたいなものがあるかもしれないですね。

楠木 あるでしょうね。

和田 椅子取りゲームで言ったら、「はい、音楽止まったよ、私座らないけど。いいよ、椅子のない真ん中に行くから、次は私が鬼でいいですから」みたいな存在かもしれません。たぶん男性だけの組織の秩序が崩れますよね。