「とにかく、やってみる」から学びが深い
僕は、こんな経験をヤマほどしてきました。
そのたびに、職場に迷惑をかけてきたのですから、「もっと慎重に考えてやりなさい」と叱られれば、返す言葉はありません。実際、僕は子どものころに母から、「注意力散漫」と耳にタコができるほど、叱られました。しかし、それでも、おっちょこちょいにはプラスの側面も少なからずあると考えています。
なぜなら、深く考えすぎずにやってみるからこそ、いろいろな経験をすることができるからです。特に重要なのが、失敗体験。失敗には痛みが伴いますから、そのときの学びが深く身体に刻まれるのです。
たとえば、データを飛ばすという”痛い経験”をすれば、検証作業を怠らないようになります。当時のNASはトラブルがあっても、仕様上はデータが復旧できるはずでしたが、実際にはできなかった。そういう経験をもとに、他の経験においても「このまま進めたら危ない」というアラームが、無意識的に鳴るようになるのです。これは、座学では身につけることが比較的難しい、身体で覚える「学び」だと思います。そして、このような経験を積み重ねることで、新しいことにチャレンジするときの「勘所」を体得できるようになるのです。
むしろ、若いうちから保守的にふるまうことで、仕事に対して慎重になりすぎることのデメリットに注意すべきではないでしょうか?任された領域から一歩も外に出なければ、失敗の確率を低くすることはできますが、その分だけ、限られた人生で得られる「学び」が少なくなるからです。失敗が少ないという理由で、短期的には社内で評価されるかもしれませんが、その一方で、長期的には会社から与えられた役割をルーチンで回すことしかできない人材になってしまう恐れがあるのです。
もちろん、単なるおっちょこちょいではいけません。
まず第一に、動機が大切。そもそも、「会社のため」「品質向上のため」といった大儀がなければ、上司がGOサインを出してはくれません。それに、新しいチャレンジにはトラブルがつきものですから、自分のなかに「これは価値のあるチャレンジなんだ」という確信がなければ、心は簡単に折れてしまうでしょう。
そして第二に、とにかくやり抜くこと。これが重要です。
リカバリーできないトラブルはありません。やり抜く覚悟さえあれば、たいていのことはなんとかなるものです。そして、やり抜くことさえできれば、その過程における多少のトラブルは「いい思い出」になります。何より、周囲の人たちから「あいつは(問題もたまに起こすが)、任せておけばなんとかする」と思ってもらえるようになります。その結果、新しいことにチャレンジしやすい環境が出来上がってくる。トラブルが未来につながるチャンスにすらなるのです。
さらに、いわば”ゼロイチ派”として認知されるようにもなります。ある種のセルフ・ブランディングの構築ができるというわけです。その後、僕はトヨタ初のスーパーカー「レクサスLFA」の開発にエントリーさせてもらえたのですが、もしかしたら、ワークステーションの一件も影響していたのかもしれません。