「記憶に残るスタッフ」と「その他大勢」を分けるもの
その「謎」が解けたのは、ずいぶんたってからのこと。
F1チームには、すでに日本からベテランエンジニアがオブザーバーとして現地入りしていました。男気のある侍のような先輩で、現地で私のメンターとしてたいへんお世話になった方です。その方から、後にこんな話を聞いたのです。
当時、成績が低迷していたF1チームは、空力を改善する必要に迫られていました。現地スタッフだけでは開発が行き詰まっており、トヨタ本社の空力エンジニアも派遣することで状況の打開を図ることになったのです。そして、そのときに、僕の名前を出してくださったのが、実は、LFAの設計で「オマエ、何やってるんだ!」と僕を怒鳴った役員だったのです。
空力エンジニアの派遣要請を受けた役員は、すでに現地にいた侍のような先輩にこう尋ねたそうです。「学究肌で優秀なエンジニアと、英語はからっきしだけど元気のいいヤツ、どっちがいい?」。これに対して、その先輩は、「レースは厳しい世界だし、どうせ過去の市販車の経験など役にたたないから、イキのいいヤツがいい。英語なんて、こっちに来ればなんとかなる」と回答。その結果、僕がF1派遣されることになったというのです。
これには正直、驚きました。
なにせ、若気の至りで逆鱗に触れた方です。その方が、まさか僕の希望を叶えてくださっていたなど、思いも寄らないことでした。先輩は、「生意気だったお前のことが印象に残ってたみたいだよ」とおっしゃいました。本当にありがたいことで、その役員にも、”侍エンジニア”の先輩にも、今も感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、その後、僕もマネジメントの立場に立って、少しずつわかってきました。
ある程度の規模のプロジェクトを任されるようになると、多くの部下を抱えることになります。もちろん、その全員に公平に接することを心がけるのですが、こちらも不完全な人間です。記憶に強く残る一部の部下とその他大勢に、どうしても分かれてしまう。そして、何かの機会に名前が出てくるのは、記憶に残っている部下。これは、人間である限りどうしようもないことだと思います。
では、記憶に残るのはどんな人か?
僕はひたむきに仕事に向き合う人だと思います。純粋に「仕事」を追求している人は、純粋であるがゆえにある意味で未成熟で、しばしば社内に波風を立てるものです。特に、ゼロイチのプロジェクトは、従来の枠組みを超えるチャレンジをするわけですから、他部署の仕事にも影響を与えざるをえません。そこには、必ず軋轢が生じます。「出る杭」にならざるをえないのです。
もちろん、かつての僕のように、バカ正直に役員に盾突くのが正しいわけではありません。できるだけ軋轢を避けるために、処世的な立ち回りを身につけることも大切です。
しかし、仕事で最も重要なのは、あくまでプロジェクトを成功させることであって、軋轢を避けることではありません。笑われたり、怒られたり、呆れられたりしながらも、自分が考えに考え抜いたアイデアを実現するために純粋に努力する人は、多少出来が悪くても、必ず上層部の記憶に残ります。そして、その人にはいつかチャンスが訪れるのです。「抜擢される人」と「その他大勢」を分けるのは、「純粋」であるかどうかという一点に尽きると思うのです。
だから、チャンスをつかむ方法はたったひとつ。
目の前のプロジェクトを成功させることを純粋に追求する。そして、自分なりに考え抜いて「これをやる!」と決めたら、「出る杭」になることを恐れず、その実現のために全力を尽くすことなのです。
「出る杭」は叩かれるだけではなく、引き抜かれる存在でもあるのです。