オバマ氏の理念と現実…
実は「驚くべきギャップ」があった
事実は冷厳である。5月26日付の米「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)紙は大統領の核なき世界に向けての理念と、理念実現に向けての実績に、「驚くべきギャップ」があることを指摘した。
「国防総省の最新の統計に基づけば、冷戦後歴代のどの大統領に比べても、オバマ氏の核弾頭削減数は少なかった」のだ。核なき世界を標榜しながら、冷戦後、一番核を減らさなかったのがオバマ大統領だと、同紙は興ざめ気味に報じている。
もう一点留意すべきは、オバマ大統領がアメリカの保有する核兵器の品質保全と機能改善のために、今後30年間で1兆ドル(110兆円)という膨大な予算を確保したことだ。NYTはこのことを、あまりにも明白な言葉と行動のギャップだと批判した。
2015年7月に達成したイランとの核合意も問題含みだ。同合意は、今後10年間はイランの核開発を止めることはできても、その後の保証はなきに等しい。10年など歴史においては瞬時に過ぎる。その後、イランは必ず核開発の道に進む、そのための抜け道だらけなのがオバマ合意だというのが、少なからぬ専門家の分析である。
イランの核保有はサウジアラビアや他のアラブ諸国を核保有へと走らせるだろう。テロリスト勢力の過激派組織・イスラム国(IS)などの手に核が渡る危険性も高い。近未来には中東にも北アフリカにも核が拡散すると考えなければならない。厳しいことを言うようだが、オバマ大統領の合意で、世界はそのような危険な局面に立たされているのである。
「核なき世界への挑戦」という自身の夢の形を整えるためにイランに譲ったという根強いオバマ批判は、現実を見れば当たっていると言わざるを得ない。核も争いもない平和な世界は、確かにすべての人の願いである。政治の責任はその実現にある。理想に一歩でも近づいたという実績を残さなければならない。オバマ大統領は、しかし、その熱い核廃絶への想いにもかかわらず、理想から逆に遠ざかってしまった大統領と位置付けられる。
核を落とされた日本は、では、氏の広島訪問をどう捉えるべきか。オバマ演説に、その一言がなかったように、非人道的行為の極みである原爆投下に関して、アメリカの大統領として謝罪する気はなかったことを、日本国も日本人も、国際関係の現実として忘れないことが大事である。
オバマ大統領の広島訪問は、自身の語る核なき世界の夢への最終章以上でも以下でもなかったのか。広島でも、中東でも、南シナ海でも、争いを避け、対話や平和的交渉で解決すべきだというオバマ大統領の持論は鳴り響いた。しかし、残念ながら結果が伴わなかった。これがオバマ大統領に関する現実である。
(『週刊ダイヤモンド』2016年6月11日号の記事に加筆修正)