ネクサスというのは、地下のリゾームと、地上のツリーライクなネットワークの両方を指します。下から水や養分を吸い上げ、地上からは太陽光を得て、間で光合成をする。その途中では「ポイントフラッシュ」といって、一つひとつの結節点(ノード)が光る。それを読んだ時に、これもまた熊楠の「萃点」であると私は思いました。

 さて、今日は「Quality of Network」を編集工学的に説明しなさいという難題をいただいたので、その試みを少ししてみようと思います。

 最初に明らかにしておきたいのは、クオリティとは何なのか、ということです。そしてこれが一番難しい問いでもあります。ギリシャ哲学や中国の諸子百家を含め、「質」については議論が重ねられてきました。大半の思想は、質をめぐっているのです。社会科学や人文科学だけではなく、物理学や化学などの自然科学でも質を重視してきました。ニュートンは質点というものが一番重要であると言っています。

質から量へ。そしてまた質の時代に

質から量、また質の時代に<br />選ばれる「ネットワーク」の5つの条件松岡正剛(まつおか・せいごう)
雑誌『遊』編集長、東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授をへて、現在、編集工学研究所所長・イシス編集学校校長。日本文化、芸術、生命哲学、システム工学など多方面およぶ施策を情報文化技術に応用する「編集工学」を確立。執筆・講演・企画・構成・プロデュース・監修・演出などを数多く手掛ける。また、日本文化研究の第一人者として、「日本という方法」を提示し、独自の日本論を展開している。2000年2月から連載中のブックナビゲーション「松岡正剛の千夜千冊」は、月間100万ページビューを超える。

 しかし、ある時点からこの議論に代わって「量」の議論が登場します。資本主義論や市場論からいうと、アダム・スミスの時代までは量は問題になっていないのですが、『人口論』を著した18世紀の経済学者マルサスの時代から量に変わっていく。マルサスは、量の市場が生まれる可能性があると言ったのです。

 18世紀後半のナポレオンの時代になると統計官僚が登場し、量の思想が国家にまで拡大していきます。ナポレオンとその官僚たちは、「国民」というのは「標準値」を持たなければいけない、と考えました。健康状態や経済状態、それなりの人間性というものを数値化しようとしたわけです。ナポレオンの統領政府で内務大臣に登用されたラプラスという人がいますが、この人が確率論の基礎を打ち立てます。現在の画像解析などにも使われるベイズ統計の基礎も、ラプラスが体系化したものです。こうして国民のさまざまな状態の数値化が、今日の近代国家の原型になったのです。ここで、質というものが量や数値に置き換わっていきます。

 私たちは資本主義の欲望の対象として、量化されたものを交換しあう社会をつくってしまいました。けれど、近年そうではないものが出てきつつあります。その最大のものがデジタルネットワークです。コンピュータネットワーク自体はシャノンの通信理論にもとづいているので、もともと入力するものと出力されるものの、記号的な一致関係でつくられていたわけです。でもブログやSNSが登場し、そこにはみんなが「◯◯したい」と書き込み、買い物もするようになり、欲望が集まってくるようになった。そうしたデータはセンスデータとしてデジタルに積み重ねられ、玉石混交のかたちでゴミの山のようにビッグデータ化されています。