『四月は君の嘘』『ボールルームへようこそ』『ましろのおと』といった話題作を次々と世に出す一方で、『修羅の刻』『DEAR BOYS』『鉄拳チンミ』『龍狼伝』といった、漫画好きなら誰でもが知る長期連載を擁する「月刊少年マガジン」。その編集長である林田慎一郎氏と、『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』の著者・松村嘉浩氏による対談の後篇です。
累計5000万部を突破し、未だにブームが続く大ヒット漫画『進撃の巨人』は、経済書である『増補版 なぜ今~』でも重要な役割を果たしています。『進撃の巨人』とは、社会においてどのような意味を持つ作品だったのか、異色の組合せで語ります。
「別冊少年マガジン」が生まれた背景
林田 『進撃の巨人』は、松村さんの本で重要なモチーフになっていますよね。
松村 はい、オンラインの連載部分でも使わせていただきました。
林田 『進撃の巨人』は、私が所属する「月刊少年マガジン」ではなく、「週マガ」増刊の「別冊少年マガジン」に連載されている作品なのですが、作者の諫山(いさやま)先生が新人の頃から、企画が通るまで、そして人気を取り、部数が大きく化けていくさまを、私もつぶさに見てきました。
『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』のなかで、教授のセリフとして「なぜ売れているのかわからない作品」「かつてであればヒットしなかった作品」と書かれていますね。おっしゃるとおりかもしれません、作者の才能は大いに評価しつつも、私たちの中にも『進撃の巨人』が売れるかどうかには、懐疑的な人間も多くいたのです。
松村 やっぱり、プロから見てもそうなんですね。ふつうに考えたら売れそうにない作品だと思いました。
林田 かくいう私自身も懐疑派でというか、皆目見当がつかず、結果的に見る目がありませんでした。でも、この作品が大変なものだと評価する当時の「別マガ」選考メンバーの判断で、企画にGOが出ることになったのです。特に担当編集者の川窪(川窪慎太郎氏)は、諫山さんがただものではないと見抜いていました。何しろ初手から「初版100万部売ろう」と話していたそうですから……。少なくともすごい作家になるという確信はあったようです。
松村 選考された方も川窪さんも、すごい慧眼でしたね。
林田 あと、『進撃の巨人』については、タイミングも良かったですね。諫山先生が『進撃の巨人』を編集部に持ち込まれたのは、これまでの「週刊少年マガジン」だけでは限界があることが見えてきたころで、表現世界を広げるために「アンチ・マガジン」、つまり全く違う路線で何かやってみようという取り組みが始まって、「別冊少年マガジン」が生まれようとする時だったのです。そしてご存知のとおり、『進撃の巨人』は「アンチ・マガジン」の路線にぴったりとはまって雑誌を牽引しました。もし、そういうタイミングでなかったら、世に出なかったかもしれません。そう考えると恐ろしい(笑)。
松村 いまの漫画のヒット作は、やはり王道系ではなく、「アンチ・マガジン」の路線のものが多いのでしょうか?
林田 たしかに最近のヒット作はその雑誌の傍流から出る傾向がありますね。たとえば、『暗殺教室』なども「少年ジャンプ」の主流とは言えないでしょう。そうした流れを意識した面もあったかもしれませんが、強力に押した人たちも、これほど売れるとは想像しませんでした。
松村 やはり時代を反映しているということなんでしょうか?でも、作者の諫山さんはそういう「時代に合わせる」といったことは意識せずに描かれたように思うのですが、いかがでしょうか?
林田 はい。時代に選ばれ、時代を反映している作品なのでしょう。『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』でのご指摘のとおり、「不安」や「閉塞感」といった言葉が、今の時代を象徴しているのだと思います。私見になりますが、漫画もその流れにあることは、最近の“生き残りゲーム”系の作品の流行を見れば、明らかです。今は「週刊少年マガジン」にも、『神さまの言うとおり弐』『リアルアカウント』などが連載されていますし。
でも、『進撃の巨人』の世界観は諫山さんの頭の中にずっとあったものだそうです。ですから、とくに時代を意識して作られたものではないでしょうね。
松村 やはり、そうですか。自然体で出てきた作品ということですね。でも、その受け皿となる「別冊少年マガジン」は時代の流れを意識して作られたと。非常に面白いですね。
でも、受け皿ができていたとはいえ、林田さんのようなプロの予想を超えて、売れるはずがない作品がここまで大ヒットしたことには、個人的にはすごく意味があるはずだと思うのです。
林田 『進撃の巨人』が売れた理由は、業界として研究の対象になっていますね。編集者側としては、なんとかして読み解いてヒットの理由を見つけたい(笑)。
松村 私はこうした現象を素直に受け止めるべきだと思っています。ヘンな政策をやればやるほど、みんなが不安になるということが『進撃の巨人』に表現されていると思っているのです。そういうことを政策系の勉強会などでエラい人に直接言ったのですが、ぜんぜん相手にされませんでした。
林田 それも本を書くきっかけだったのですか?
松村 そうですね。また、日本を良くしたいと若いころに言っていた人たちが、自分の引退が見えてくると、どういうわけかアベノミクス賛同の旗を振りはじめたというのもあります。国家のことを考えていると言っていたのに、年を取ると自分の立場を優先してしまう姿にずいぶんとがっかりさせられたわけです。
林田 なるほど。でも世の中そういうもので、それが書かれていたような世代間の問題というわけですよね。
変化する幸福感とそれに気が付かない老人たち
松村 ですので、若者や一般の人に政策を知ってもらい、逆に政策当局者に若者や一般の人の気持ちを知ってもらおうという、ある意味、世代間や知識層間のギャップを埋めたい気持ちも私にはあるのです。
林田 なるほど。でも、そういった目的はもうかなり達成されているんじゃないでしょうか?
松村 う~ん、どうなんでしょうか。そもそも「本」は、基本的に明確な目的を持って買われるものですから、この本は総合的すぎてなかなか難しいですね。ビジネス書・経済書の商業出版としては異例の本なんですよ。
そういう意味では、この本がいったいどういう売れ方をするのかは、わたしにとってのひとつの観測気球でもあります。ちなみに、世代間のギャップに関しては、この本にご批判をいただくなかでさらに痛烈に感じざるをえませんでしたね。
林田 世代が上の人たちからの批判が多いということですか?
松村 そのとおりです。やはり今さら価値観を変えるのは難しいということなのでしょう。たとえば、若者はいまや車はシェアでいいと思っている人が増えているのですが、私が「若者は車を買う欲望がなくなっている」と書くと、「そうではなくて我慢しているだけで、本当は車が欲しいのだ」と批判する方がいらっしゃるという具合です。このあいだ20代の若者にそういう話をしたら、笑っていましたが。
林田 結局、成長する世界に慣れ親しんで、それが当たり前だと思って育った世代が価値観を変化させることは、なかなか難しいということですね。
幸せな余暇の概念も変化していて、気の合う友人や家族と一緒にいること自体や、ブログや動画配信といったさほどコストのかからない制作活動も含まれるようになってきているのです。ショッピングのような消費が幸せの中心だった時代から変化しているのは明らかですね。
松村 ところが、こういう事実を一番わかっていないのは、政権なんですよね。政権を支持する世代層がモノ・成長を前提とする考えだということもあるのですが、とにかくマッチョな成長、モノを人が欲しがっていると勘違いしているわけです。
ハッキリ言って、発想が古くてダサいのです。それを借金せずにやるのならいいのですが、未来の人たちに迷惑をかけて今の成長を達成しようとしています。のちの世から見れば、現代は“借金―債務の時代”ということになるでしょう。わずかな成長をしようと、どんどん借金を膨らませていっているわけです。
こういったコワいことが行われている事実を、『進撃の巨人』を読んでいる若い人たちにはぜひ知ってもらいたい。逆に政権には、『進撃の巨人』を読んで不安をもっている若者の気持ちを知ってもらいたい。
漫画は非成長世界における成長分野
林田 それにしても、松村さんの本を読んでも、サブカルチャーや漫画の援用に不自然さが感じられません。普通、お堅い仕事の方がそういうことをすると、イタイ感じがするものなんですが。今日の話もそうですが、ずいぶんと漫画にお詳しいのはなぜですか?
松村 ……これは誰にも話したことがないんですが、カミングアウトすると中学生ぐらいまで漫画家になりたいと思っていたことがあって(笑)。
林田 え~、本当ですか!
松村 いや~、こう見えて絵が上手なんですよ(笑)。子どものころは絵ばかり描いていました。漫画の書き方の本やGペンなんかを買ってきて割と本格的にやってましたね。
林田 漫画の描ける金融実務家ですか(笑)。意外すぎます。
松村 まあ、子どものころの話です。でも、いまでもカンタンなイラストぐらいなら描けるかもしれません(笑)。その後はさすがに描くのは止めましたが、漫画好きは変わらずで、若いころ、ゴールドマン・サックスの研修でニューヨークに行っている間も、週刊の漫画誌を社内便で送ってもらっていて、研修の休み時間に読んでました(笑)。そうしたら、となりの外国人が“お前は子どもか?”と言ってきて、アメリカでは大人が漫画を読むなんてあり得ないことなんだと、実体験しましたね。
林田 そういう傾向は少しずつですが変化はしています。アニメや漫画が、少々手垢のついた言葉になりましたが「クール・ジャパン」の文化として受け入れられる傾向が出ているのは知られてきましたね。フランスは日本のアニメや漫画が大ブームですし、ドイツもそうです。『セーラームーン』などはドイツですごい人気です。北米でも今までと違って、9月に映画も公開される『四月は君の嘘』が熱狂的に受け入れられるなど、オタク文化としてのとらえ方を超えての評価が高まってきて、潮目の変化を感じますね。
松村 『アルプスの少女ハイジ』を日本のアニメと知らずに見ている人がいるそうですね(笑)。フランスは子どものころにテレビで日本のアニメを見て育った世代がいまの中心だそうですし。最近、アートを勉強して日本の漫画がいかにすごいものなのか、改めて勉強になりました。
林田 それは村上隆さんや会田誠さんのようなアーティストのお話ですか?
松村 そうですね。西洋の世界が3Dをいかに忠実に2Dにするのかに血道を上げる一方で、日本は浮世絵のような、デフォルメされた平面的な西洋とはまったく異なる世界のアートを生み出し、その流れがいまの漫画へとつながっています。
林田 それがついには世界に通じる「文脈づくり」をして、村上隆さんのような世界的に認められるアートにまでなっていくわけですよね。
松村 ええ、それもすごいことだと思いますし、漫画がここまでになったのは、戦後、モノがなくなっても紙とペンだけでもできることが漫画だったというわけで、日本人の創造力が凝縮したものだと思っています。表現として大いなる可能性のあるものだと思っていますし、これからの非成長世界における成長分野であり続けるのではないでしょうか。
林田 金融業界に漫画の味方がいらっしゃるとは思いませんでした。
松村 いえ、お恥ずかしい限りです(笑)。ところで、アートの話になったので補足なんですが、『増補版 なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?』の後半は宗教の話やアートの話が出てきて、一見、経済と関係がないように思う方も多いようです。
林田 ずいぶんと幅の広い話に逆に驚かされましたが。アートとお金と宗教の関係に。
松村 実のところは、これはすべて資本主義の話をするための補助線なんです。宗教と資本主義には深い関係があるのです。そのへんは、あまり日本人はよくわかっていないので、あえて書いてみました。アートも、要は宗教の話が書きたくて例としてあげたものです。
林田 なるほど、そういうことなんですね。
松村 最近、ベストセラーになっている『善と悪の経済学』という本を読んでいただければ、その辺のことに関してはっきり書いているので、おわかりになると思います。
要はヘブライの宗教(ユダヤ教)が資本主義の思想の原点だということなんです。現代アートを支配しているのは、ユダヤ系の人たちなのでわかりやすい例としてあげました。
林田 カンタンに読めるけど、やっぱり、ずいぶん深い内容の本なんですね。松村さんとは、これからもいろいろとお話ししてみたいです。今後ともよろしくお願いいたします。
松村 こちらこそ。カミングアウトしてしまいましたし(笑)、漫画の話をたくさん聞かせてください。
林田 それでは、月マガ期待の新作の話を(笑)。
福岡県久留米市出身。1985年早稲田大学法学部卒業、同年講談社入社。
「週刊少年マガジン」「ミスターマガジン」等を経て2010年より「月刊少年マガジン」編集長。