改革の原点は教育困難校での経験

――閉校も決まっていて、生徒たちも投げやりだったのでしょうか。

栗原 マイクを持って、「おへそを私の方に向けてください。あなたたちの学校はここでしょう」と呼びかけると、シーンとしました。「高校時代は一回しかない。3年後には学校も閉じます。一緒に卒業まで頑張りませんか」と話してこの日は終わりました。

 着任式の翌日、この学校としては最後となる入学式で、学校の方針として、「授業・命・財産」を掲げて話しました。学校は勉強するところです。授業を大切にしよう。校内では暴力事件やいじめも多かったので、自分の命も他人の命も大切にしよう。そして、トイレ一つでも税金でつくった大切な財産だから大事にしましょう。この三つを守ってくれれば必ず卒業させると伝えました。そしてもう一つ、「輝いて閉じる」と付け加えました。

 成城でも小石川でも、校長として毎朝生徒を迎えましたが、水元で校門の前に立ったのが最初です。ところが、始業の8時半になってもほとんど生徒が来ない。10時半頃、ようやくパラパラと登校してくる状態でした。

 生徒には「本所から来たんだろ。ここでもゼロにするのか」と聞かれました。本所の教頭のときに掲げた「茶髪ゼロ、遅刻ゼロ」をみんなで実現したことを生徒は伝え聞いて知っていたのです。そう言う彼らの髪は色とりどりで、レインボーのようにカラフルでした。

――どこから手をつけていこうとされたのですか。

栗原 髪の色のことよりも、学校に来させるところから始めました。生徒と話していくうちに分かったのは、生徒の自己肯定感が低いことでした。自分の将来の夢も希望も感じられません。生活の中に習慣というものが欠落している。初年度から「中退防止プロジェクト」を立ち上げました。

 生徒が約束を守ったら、そのことをたたえる。無遅刻・無欠席・無早退の生徒には校長から手作りの「月間皆勤賞」を毎月の校長講話の時に授与することにしました。これをためることが、生徒たちの喜びとなっていたようです。

――まずは達成感を得るところからですね。学習面ではいかがでしたか。

栗原 外を走らせるとどこかに行ってしまうため、マラソン大会の代わりに縄跳び検定が実施されていました。そこで検定の日に縄跳びの世界チャンピオンを招いて五重跳びなどを披露してもらうと、生徒たちは感激していました。

 この検定にならって、中学の学習内容から復習していくため、英数国で学校独自の検定を設け、細かくステップを刻みながら次々にプリントを仕上げていくことにより、学習習慣と基礎学力を身に付けていく取り組みを行いました。

 赴任初年度が終わりに近づいた頃、2年後にすべて取り壊すとはいえ、どうしても壊れて汚れたままのトイレをそのままにしておきたくはなかった。清掃しましょうと言ったら大反対を受けましたので、「私は主婦です。一人でもやります」と言って、終業式翌日の3月26日にトイレを掃除するため登校しました。長靴とレインコートとホースを持って。

 春休みに入ったというのに、そこにはたくさんの先生方と生徒も集まっていました。生徒は先生に言われた「ご飯がで出るよ」という言葉につられてきた感じもしましたが(笑)、掃除をして、余っていた赤と白のペンキで、落書きだらけだったトイレの壁を薄いピンクに塗り替えました。終わった後は、家庭科室でつくった豚汁をみんなで食べました。