「そっか、みんなと同じだから大丈夫、と思いすぎると危険なこともあるのか」

「そうだ。習慣的に周囲に合わせていると、自分で考える能力を徐々に衰えさせてしまうことにも繋るのだ。『すべての習慣は、我々の手先を器用にし、我々の才知を不器用にする』これ、メモしてもいいぞ」

 ニーチェはそういうと、うんうんと頷きながらこちらをチラチラと見てきた。どうやら私が、ちゃんとメモをするかを確認しているようだった。

「わかったよ、たしかにいい言葉だし、ちゃんとメモするよ」

 私は、鞄から倫理のノートを取り出し、後ろの方にあるメモ欄に名言をメモした。

 その様子を確認すると、ニーチェは、にやっと口元をゆるませながら、また語り出した。

「あとな、人は合理化するからな、アリサにも経験はあるか?」

「合理化?合理化って具体的にどういうこと?」

「つまりだ。欲しいものが自分に手に入りそうにもない場合、“そんなものよりもっと大切なよいものがある”と、欲しかったものの価値を低く見たり、悪いもののように扱う経験だ。
 童話の『すっぱいブドウ』にもあるだろう」

「すっぱいブドウ?ちょっと知らないなあ」

「アリサよ、すっぱいブドウも知らんとは、お前は普段何を読んでいるのだ?携帯小説か?西野カナの歌詞か?」

「いや、別に読んでないけど……そのすっぱいブドウってどんな話なの?」

「すっぱいブドウはあれだ。キツネが高い木に実ったブドウを取ろうと、何回もジャンプするのだ。しかし、結局ジャンプしてもブドウには届かない。そこで、キツネは諦めることにしたのだが、悔しさまじりに言うのだ“あのブドウはどうせ酸っぱくて、味もマズイ。全然食べたくない!”とな」

「うわっ、ちょっとそれキツネ、あからさまな、負け惜しみじゃん……」

「まあ、そうなんだが、あからさまな負け惜しみでなくても、欲しかったものが手に入らなかった時、手に入りそうにない時、“あーやっぱ全然欲しくないわ”と自分に言い聞かせることを、合理化というのだ」

「なるほどね、バイト先にもそういう後輩いるよ。男の子なんだけど、“俺、三次元に興味ないっすからw”ってよく言ってるの。
 その子は、アニメに出てくるような二次元の美少女が好きらしいんだけど、頑なに“現実の女はマジ興味ないっすw”って言うの。けど、可愛いお客さんに話しかけられると、いつも耳を真っ赤にしてるの」

「そうか、まあフェティシズムの話になると、一口には断定できないが、その男子も合理化、つまりやせ我慢している可能性は大いにあるな。
 手に入れたくても出来ないものを、欲しくないと言いはったり、欲しかったものの価値を、低く見たりするものだ、あえてな」