「欲しかったものの価値を低く見るっていうのはどういうこと?」

「例えば、権威やお金だとわかりやすいぞ。権威やお金が欲しい。けれども、手に入りそうにない。
 そういう場合に人はどうすると思う?“お金よりももっと価値のあるものがあるから、お金ばかり追い求めている人は愚かだ、お金を追い求めすぎない生き方がよいのだ”と金持ちを見下しにかかるのだ」

「たしかに……」

「そうだ。お金を追い求めている人は“利己的な人”だから、お金よりももっとよいものを追い求める“非利己的な人”を“よい”とすることにより、自分を慰めているのだ。
 自分自身の人生が価値のないものだと、思いたくない。しかし、現実で価値があるとされているお金も権威もない。
 だからこそ、自分の手の届くものに価値を見出し、よいとしているのだ」

「そっか、うーん言いたいことはわかるけど、お金や権威じゃなくて、例えば家族の絆とか、夢に向かって生きるとか、純粋なものに価値を見出している人もいるでしょ?それもよくないことなの?」

「よくないことではない。私が言っているのは、手に入りそうにないものを見下し、斜に構える姿勢をとる“ルサンチマン”的視点から“自己中ではない自分”を神聖化する道徳が生まれることがあると言っているのだ」

 ニーチェは勢いづいてきたようで、知らない単語をばんばん出してきた。
(つづく)

【『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』試読版 第4回】<br />畜群道徳……?なんか社畜っぽい響きだね

原田まりる(はらだ・まりる)
作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター
1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある