建平の叫びに、隆嗣はたじろいだ。

「違うんだ……。俺はあの日の朝、上海を離れたんだ」

「どういうことだい?」

 哀しげな視線を上目遣いに隆嗣へ向け、建平が自分の秘密を語り始めた。

「誰にも話していなかったが……実は、俺の親父は、人民解放軍済南軍区の幹部だったんだ。参謀を務める将官クラスでね、結構実力があった……」

 人民解放軍幹部の次男坊は、兄が父の跡を継いで士官となったお蔭で、自分は自由にしてもよかろうと大学への進学を父に請い、そして許された。難関の上海興工大学へ進学したが、そこで新たな国家観に目覚めた彼は、愛国を体現できるものは民主化運動であると確信した。

 青年は持ち前の行動力で同調する学生仲間をリードしていった。そして、その熱病の頂点となった1989年6月、運動の主要メンバーが集って、北京行きを決定した。天安門広場でデモに参加するという行動に、本末転倒ながら毛沢東の長征を重ね合わせて興奮し血が滾っていた。

 翌日の夜に落ち合う段取りを決めて仲間と別れた建平であったが、興奮に眠れぬ夜を過ごした翌朝、学生宿舎へ体格の良い三人の男が闖入して彼を強引に拉致した。有無を言わせぬ腕力を行使したのは父の部下である人民解放軍の精兵で、抗う術もなく彼は山東省済南の軍の高級官舎へ連れ戻され、軟禁されてしまった。

 彼の父親との衝突を怖れた公安が、事前に連絡して学生運動家を一網打尽にする罠から逃がしたのだ。自宅で軟禁された彼は父に強く反発したが、後からその結末を知らされて、無気力状態に陥ってしまった。

 上海の仲間はすべて捕まってしまった。しかし、捕まった学生はまだましだったのかもしれない。彼らが向かうはずだった天安門広場で起きた惨劇は、言語で表されるような次元の話ではなかった。しかも、それを実行したのは父や兄が属する人民解放軍であった。

 それ以降、軟禁されるまでもなく彼は自分の部屋に閉じこもり、外界と隔絶した世界に溺れた。5年ほど立ち直れなかったという。

(つづく)