そこまで粛々とやった上で、なおも不足する場合は「原発埋蔵金」を使うべきだ。
原発埋蔵金とは、公益財団法人原子力環境整備促進・資金管理センターが、六ヶ所村の使用済み核燃料の再処理のために積み立てている資金を指す。現在までにおよそ2.5兆円、毎年5000億円ほどが積み上がっていく
六ヶ所村の再処理工場は必要ない。常識的な人間であればすぐにわかることだ。
万が一、稼働させる前提に立ったとしても、現在は計画がストップしているのだから、最低限の維持費さえ残しておけば問題は起こらない。再処理が本格稼働したときに、年間5000億円というお金の流れを元に戻せばいいだけの話である。
賠償金の支払いを5年間と仮定すると、原発埋蔵金だけで総額5兆円の原資が確保できる。東電の資産売却や債権放棄などを含めれば、ざっと10兆円に届くのではないか。賠償スキームの議論は、最低限ここまでやってから俎上に乗せるべきだ。
それでも足りなければ最後は税金
電気料金の値上げは筋違い
賠償金捻出のために、電気料金が値上げされる、という話も浮上している。
「電気料金は税金みたいなものだから」
そんな容認論もあると聞くが、電気料金に手をつけるのは筋違いである。
現在、形式上とはいえ電力は自由化されている。東京電力管内には、東電以外から電力を購入している人もわずかながら存在する。その人たちは、今回の「無計画」停電の巻き添えを食った。東電から電力を買っていない人が、なぜ停電だけでなく補償まで引き受けなければならないのか。
地域独占の東電から電力を購入せざるを得ない私たちユーザーにしても、原発事故の責任があるわけではない。私たちは、いわば東電の「捕虜」になっているだけだ。
原発は、東電が勝手に作ったものだ。私たちが作ってくれと頼んだわけではない。東電に無限責任があるという前提でも、ユーザーの電気料金に補償を転嫁するのは理屈が通らない。