(2008年11月、マレーシア)

 半島マレーシアの海の玄関口、ポートクランのコンテナヤードでは、幸一と石田が忙しく走り回っていた。

 コンテナの中にそのまま入る機械は梱包状態を確認するだけでいいが、ドライヤーのばらばらに分解されたパーツは、図面を片手に部位をチェックして、積み残しや接合部分に不具合はないかと検査し、それぞれがどのコンテナに積み込まれるのかを書類に明記しなければならない。その作業が思いのほか手間取った。

 クアラルンプール国際空港へ出迎えに現れたチュアに案内されて港へやって来てから今日で3日目、何とか明日の船積み前に検査を終えることが出来そうだ。

 一方、機械のことは判らないと、初日から遠巻きで眺めるだけだった李傑に気を遣ったチュアは、港にいても暇でしょうからと、山頂の避暑リゾート地である『ゲンティンハイランド』のホテルへ招待した。そこは、毎晩ショーが催され公認のカジノが開かれている、娯楽のための別世界だった。

 検査に立ち会わず李傑の接待にばかり気を遣うチュアに幸一と石田は鼻白んだが、彼らはその理由を知らなかった。チュアは、隆嗣から電話で内密に依頼されていたのだ。

「代表として赴く李傑という男はとても重要な人物なので、精一杯楽しませてやってくれ。おそらく、彼がマレーシアへ行くのはこれが最初で最後だろうから……」と。

 もし、その秘密の依頼を聞いていたならば、幸一はそれを隆嗣の優しさと感じたであろうか、それとも皮肉と受け止めたであろうか。

 李傑が博打で勝っているのか負けているのかは知らないが、何ら手伝いもしようとしないのに傍らで大きな顔をしている厄介な上役が消えてくれたお蔭で、幸一たちの仕事は捗っていた。

 世の中の情勢が一変して世界経済が急速に収縮し始めた最中、世界の工場として輸出依存により成長を遂げてきた中国経済も失速した。汗を流す幸一と石田は、我々に翼を与えるはずであったこれらの設備投資が招くものは、成功なのか、それとも重い負担なのかと、不安な気持ちを拭えないでいた。

 大きなフォークリフトが重量のある木箱をコンテナへ積み込んでいるのを見守りながらヤードのブロックに腰掛けて一息ついていた石田が、隣に座る幸一へ声を掛ける。

「日本の政治は、選挙を睨むばかりで定見のない迷走を続けている。新しく決まったばかりの有色人種初のアメリカ大統領さんは、景気回復への手品を見せてくれるのかな……。これらの設備が、宝の持ち腐れにならなければいいが」

 幸一が、手にしたコーラの空き缶を握り潰した、その低い金属音が耳に届く。

「必ず成功します。いや、成功させます」

 力強い言葉に驚いて幸一を振り返った石田だが、やがてその表情に笑みが加わった。

「そうだな、ぜひ成功させよう。君もすでに立派な総経理さんだ」

 石田は幸一の成長を素直に認め、息子のように若い彼の背中を叩いて励ました。

 そこへ、暗澹たる世界情勢とは無縁の面持ちをした中国共産党エリートが、チュアと談笑しながら戻ってきた。初めて出会った頃の李傑に感じられた堅牢さが、明らかに剥ぎ取られている。

「いやあ、カジノというものに初めて行ったが、面白いねえ。癖になってしまいそうで怖いよ。ところで、確認は終わったのかい?」

 石田は怒るよりも呆れた顔になっている。幸一は、この後に彼へ訪れる運命を考えて冷静さを保ち、無表情に報告をした。

「問題ありません。明日の船積みにも間に合います、順調ですよ」

 その言葉に、李傑とチュアは顔を見合わせて頷いた。

(つづく)