いったん立ち止まる
「ニート」も選択肢の1つ

 今、目の前には、まるでヨーロッパの大都市の中央駅のように十数個ものプラットフォームがあり、様々な道が見え始めてきた時期だと思う。少し待っていれば、そこには行き先も速度も出発時刻も様々な列車が並んでくるはずだ。

 日本を出てグローバルに伸びてゆく列車を選んでもいいし、各駅停車のスローライフを選ぶのも良し、特急列車で一気に働いて金持ちになる…いろいろな道が見えてくるだろう。自分の行くべき道をゆっくり選べばいい。

 今がどういう時代かというと、社会のパラダイムが変わり、人生の自由度が広がる歴史的転換点にあると思う。

閉塞感はその幕開けの序章にすぎない。

 残念なのはまだ新しい社会の姿がクリアになっていないということだ。社会は制度疲労を起こしているけど、新陳代謝が起こるほどにはなってない。新しい社会システムが生まれるのはまだ数年先だ。

 では今、この時期はどうすればいいのか?

 僕は、今、若手世代にとっての最良の選択は、実は何も選択をしないことであると思う。

 あえてポジションを取らず、虎視眈々と期を待つことである。何かをすること、稼ぐこと、どこかに属することなんて本当は必要ないのだ。

 どうせ今無理に働いてそこで得られるスキルや知識は、旧世代のオペレーションに有効であるに過ぎない。イノベーションが起こってパラダイムが変わってしまえば、過去の技術(スキル)は不要になる。

 それでも旧世代のシステムに乗っかって不眠不休で働いて何とかついていっても、心身を壊すのがオチだ。その後の人生は誰も保障してくれない。

 その文脈でいえば、「ニート」であることは、実はなかなかよくできた人生戦略だと思う。ニートとは、社会のレールから外れた落ちこぼれではなく、衣食住を資源を持つ親世代に依存し、エネルギーを温存しておくという冬眠の戦略なのだ。

 経済は生産人口で決まるのだし、いつの時代も若者は重要な生産要素である。移民を受け入れる土壌の薄いこの国では、若者は、実は「自分達は社会に対して大きな交渉力を持っている」ということをもっと自覚したほうがいい。

自分たちが動かなければ社会は成り立たないのだと認識すべきなのだ。どんと構えていればいい。

 実際、ヨーロッパを旅していれば、若年層の失業率が10%を超える国の若者の表情も総じて明るい。彼ら・彼女達は、社会における自分達の立ち位置をよくわかっているし、人生を楽しんでいる。

 若者は焦って動く必要はない。じっと機を待ちモラトリアムを謳歌すればいい。