最後に家族関係社会支出の国際比較(対GDP比)を見ておこう。出生率が2%近くまで改善したフランス(3.00%)やスウェーデン(3.35%)に比べれば、わが国の家族関係社会支出は0.79%とわずか4分の1程度の水準でしかない。加えてフランスやスウェーデンは、保育・就学前教育等現物給付の割合が高い(GDP比でわが国の5倍以上)ことを指摘しておきたい。政策面で、虚心坦懐に他国に学ぶことはいくらでもあるという好例であろう。

生まれた子どもはすべて平等に

 子どもは親を選ぶことができない。そして、たまたまこの世に生を受けた子どもには何の罪もないことは明らかである。そうであれば、生まれた子どもはすべて平等に扱われて然るべきである。カップルの子どもも、ひとり親の子どもも、極力、実質的に平等に育てることができるよう最大限の配慮を行うことは、成熟した社会の責務であろう。民法の遺留分規定の改正は当然としても、フランスのPACSのように事実婚を社会に正当に位置づける試みにも、我々は果敢に挑戦していくべきではないだろうか(夫婦別姓もその一環として位置づけられよう)。子どもは社会全体の宝であり、私たちの未来であるのだから。

 少子化対策の話を持ち出せば、必ずと言っていいほど「産めよ増やせよ、には反対です」という批判にさらされる。私は子どもを産む、産まないは100%カップルの自由であると考える人間である。子どもを産むことを強制される社会ほど非人道的な社会はないと思う。しかし、同時にまた、子どもを産みたいのに社会的経済的な理由で子どもを自由に産めないような社会は同等に非人道的な社会であると思っている。かなり以前の話ではあるが、フランスの知人から「フランスでは専業主婦より一生働き続ける女性の方が、たくさん赤ちゃんを産むのです」という話を聞かされた時、このような社会こそ、日本が目指すべき社会ではないかと一人合点したことを今でも強く覚えている。

(文中意見に係わる部分はすべて筆者の個人的見解である。)