「歴史に登場しながら、なぜ記録が残っていないのか」
物語は、そこから生まれる。

――作者の指方恭一郎さんは、どういう方ですか?

廣畑 福岡県北九州市の小倉で認可保育園の園長をされています。また家はお寺でして、指方さん自身、僧侶でもあります。そんなお忙しい生活の合間をぬって、小説を書き続けてこられました。

 お会いして直接聞いてみると、もともと読書が好きで、それが高じて書くようになったそうです。読んでいるうちに自分でも書きたくなって、書いてみたら今度は誰かに読んでもらいたくなった、と。この話を聞いて、賞に応募するようになったのは自然な流れだったのだ、と思いました。

――作品を読むまで、島井宗室という人物のことを知りませんでした。このような決してメジャーではない人物について、学者ではない人が文献を探し歩くのは大変では?

廣畑 ちょうど最終選考会の後、選考委員の先生方から同じ疑問が出ました。「この指方さんという人は、どうやってこの題材を探したのか。そしてどうやって調べ上げたのか」と。そこで、僕はすぐに電話でお聞きました。

 指方さんは、題材に関しては、歴史に名前が残っていてもいいはずなのに、記録があまり残っていない人に惹かれるんだそうです。「なぜこの人はこれだけ名が知られているのに、記録が残っていないのだろう」と想像が広がるのだとか。

 今回の主人公である島井宗室についても、戦国時代の博多の豪商であるにもかかわらず、あまり記録がない。逸話としては、かの「本能寺の変」が起こった時、信長に招かれて滞在していた本能寺から神屋宗湛とともに辛くも脱出するなど、歴史の世界では要所要所で登場する人物です。

 そうして調べるなかで、当時、元東京大学資料編纂所教授で東京大学名誉教授の故・田中健夫先生が島井宗室研究の第一人者だとわかり、田中先生に電話をかけて、直接話を聞いたそうです。文献なども、田中先生に教えてもらったそうで、たとえば宗室は息子の信吉宛に17カ条からなる遺書を残しているのですが、それらも田中先生の著書を参考にされています。

 時代考証も実にきめ細かくされています。巻末に付した参考文献を見ていただければわかりますが、当時の博多の町並みについても資料を集めておられます。