耳を傾けるべきは、
実名でソーシャルメディアに参加することができない人たちの声

 しかし残念ながら、ヌーディストビーチが世界各地で展開されるも、未だ都市に住む大多数の人々の服を脱がすには至っていないのと同様に、今回の試みも難しいかもしれません。

 なぜなら、個人が実名でソーシャルメディアに参加することには、個人情報を開示するリスクに加え、有名人のように自分のまわりに大きなネットワークを持たない個人が情報発信を行っても、社会からの注目を集めることは難しいという問題があり、個人に大きな負担をかけてしまうからです。

 実際、「バージン」にせよ「ジャイアン」にせよ「ヌーディスト」にせよ、実名性を擁護している人を見てみれば、地位も名声もお金もある人が多いことに気づきます。

 しかし、実名でソーシャルメディアに参加することができない人たちの声こそ大切なのではないでしょうか。むしろ現代の評論家、専門家、政治家、経営者、マーケターといった論客には、その声なき声に耳を傾ける姿勢こそ求められているのではないでしょうか。

実名を伏せたまま社会につながる手段としての「企業」

 さて、このような現状を踏まえれば、前回の連載で指摘したソーシャルメディアによる繭化の問題に対する処方箋は、実名性を高める方向ではなく、匿名性を維持したまま、社会につながるモデルであるという結論になります。

 そのモデルを機能させるためには、自らが個々の人々とつながりつつ、同時に社会に強い影響力を持つ主体が求められます。その役割を担えるのはどのような主体でしょうか? 私はここで、「企業」という組織にスポットライトを当てたいと思います。

 企業はひとつの主体でありながら、複数の人間が連繋して活動することができます。より多くの人々とつながることができます。個人ひとりの力は小さく弱いかもしれないけれど、和になってみんなの力を合わせることで、社会に大きな影響を与えることができます。

 企業が、実名性による個人のリスクを軽減し、注目を適切に分配する。また、個人の力を社会につないでいく。個人が企業に貢献する代わりに、企業が個人をリスクや孤独から守る。たとえるなら、イソギンチャクとクマノミの共生のような関係モデルを創るというアイデアです。

 それでは、企業がソーシャルメディアを活用するにはどのエリアが適しているのでしょうか?