ネット上で実名を晒すことについて、フェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグはこう主張する。「実名だと気を使っちゃうとか、どうでもいいんじゃない? そんなこと気にせず自分をさらけ出しちゃえばラクだよ」――そうすれば、社会とつながることができるよ、と。しかし、著名人ではない個人が実名でソーシャルメディアに参加することにはさまざまなリスクや問題があることは、この連載の第3回でも指摘したとおりだ。
では、個人が匿名性を維持したまま社会につながるにはどうしたらよいのだろうか? 今回はこの点について考えていきたい。
【第1回】「ソーシャルメディアは死んだ」と言われる日は近い…?」から読む
【第2回】「ソーシャルメディアとサクラの微妙な関係」から読む
【第3回】「「2ちゃんねる」は永遠に不滅?!」から読む
【第4回】「ソーシャルメディアが浮き彫りにする個人の孤独」から読む
【第5回】「ソーシャルメディアが無縁社会を生み出す?」から読む
「ジャイアン」と「バージン」と「ヌーディスト」
「フェイスブックはすごい」と語る人の大多数が、「実名のソーシャルメディアはすごい」といいます。このような実名擁護は今に始まったことではありません。この連載で整理してきたことを簡単におさらいしてみることにします。
いままで実名擁護者は大きく2つの種類に分けられました。一方は、ネットワーク経験に乏しく、耳年増になっているけれど、実体はよく知らないというケースで、なんとなくイメージで匿名は気持ち悪いし、怖いと言っているちょっと乙女な「バージン」と呼ばれるグループです。
もう一方には、著名人や有名人の先生に多いケースで、匿名では攻撃されても仕返しできないから、「文句を言いたければ実名でせよ」というグループがあります。
自分の知名度を使って稼いでいるこのような先生であれば、それは有名税ということで収まりもつきますが、そうでない人を捕まえて、「誹謗中傷されたくないから、みんな実名にすればよい」というのは、その強引な姿勢から「ジャイアン」と呼ばれても仕方がありません。
今までの実名擁護者というのは、この「バージン」と「ジャイアン」しかいませんでした。しかし、このフェイスブックブームの喧噪によくよく耳をすませてみると、まったく新しい主張があることに気づきます。その衝撃的な主張を名前に込めて、ここでは彼らのことを「ヌーディスト」と呼ぶことにします。
このヌーディストによる新説の主旨は、「みんなさ、実名だと言えないこととか、気を使っちゃうとか、そんなこと、どうでもいいんじゃない? ほんと、みんな集まってさらけ出しちゃえばいいんじゃない? すごく気持ちいいよ。こっちにおいでよ。君も脱ぎなよ」というような台詞に要約できます。脱いだあとに得られるものは、社会とのつながりだと彼らは主張します。つまり、「実名は社会とつながる」というものです。
この新説のボスは、フェイスブックの総帥、マーク・ザッカーバーグです。フェイスブックが「カルト」と呼ばれる所以もここにあります。