原発事故で
国民投票のコンセンサスが広がる

 そうこうしているうちに、96年に日本でも巻町で住民投票がありました。それを皮切りに、翌月には沖縄で県民投票があり、岐阜県・御嵩町での産廃処理施設の問題についての投票がありました。住民投票は401件行われているのです。

 正直申し上げて、最初に巻町に取材に行く時に、「なんだ」という気持ちがありました。「オレはバルト三国の独立の是非を問う国民投票や、ソ連邦解体の是非、ロシアの社会主義から資本主義への転換の是非など、歴史的な国民投票を取材してきたんだ。こんな巻町なんて、聞いたこともないような小さなところの原発の住民投票など全く関心がない。オレは国民投票を取材したいんだ。書きたいんだ。こんな住民投票なんて」と思ったのです。

 ともあれ人の勧めもあって、新潟県・巻町に行くことにしました。人口規模はロシアとかソ連とは全然違います。ところが、行ってみて、巻町の人々の住民投票にかける思いや勉強熱心さにびっくりしました。自分たちの町に原発をつくるかどうかについて、一生懸命勉強して議論をしているのです。住民投票も捨てたものではないと感動し、全国で行われている住民投票を取材して、『住民投票―観客民主主義を超えて (岩波新書)』という 本も出しました。

 その後も、国民投票の思いは、ずっとありました。住民投票もいいけれども、やっぱり国民投票をやらないとダメだという気持ちを持ち続けていたのです。NHKや朝日新聞の世論調査でも、大事なことは議会任せにしないで、国民投票にかけたいという人が8割前後います。にもかかわらず、実施されないのはなぜだろうと、悶々としていたのです。

 そこへ3月に地震と津波と原発の事故がありました。そのあとの政府の対処の仕方を見ていると、この人たちに原発のことを任せたり、ゆだねたりしていては、この国は終わってしまうという思いがますます強くなりました。これは国民が自分たちで情報網をつくり、自分たちで議論し、自分たちで結論を出さなくてはいけないという強い意思表示が必要だと感じたのです。

 あちこちの講演会に招かれて参加者の声を聞くと、「原発のことは自分たちで決めたい」「議員に任せたくない」「保安院なんてとんでもない」と言います。「主権者が自分たちで決めて、自分たちで責任をとりたい」と、みんなが思い始めているのです。

 日本人は、この原発事故をキッカケに、15年前のロシアで時計を売っていたおじいさんの気持ちをようやく抱き始めたという手ごたえを感じています。